中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

私のバケットリスト(死ぬまでにしたい100の事を書き留めるノート)


(一部転載)
バケットリストとは、「死ぬまでにしたい100のこと」を書き留めるノートです。


bucketとは英語で「バケツ」を意味するのですが、bucketを使った熟語の中に”kick the bucket”というものがあります。


「死ぬ」というなかなか衝撃的な意味をもった熟語から転じて、アメリカではThe bucket list という習慣が生まれました。


死ぬまでにやりたいことを書き留め、リスト化し実際に行うという習慣です。


映画「最高の人生の見つけ方(原題:The bucket list)」では、大病を患った主人公2人が
それぞれのやりたいことを書き出して、残された余生をやりたいことをやるために過ごす姿がとても印象的でした。

最高の人生の見つけ方

『最高の人生の見つけ方』(原題: The Bucket List)は、2007年のアメリカ映画。
主演、ジャック・ニコルソン&モーガン・フリーマン
監督ロブ・ライナー
主な監督作品
スタンド・バイ・ミー Stand by Me (1986)
ミザリー Misery (1990)キャシー・ベイツはアカデミー主演女優賞を受賞


★私のバケットリスト★
この映画の予告編は10回ほど見て好感は持っていたけれど、まだ見ていない。
たまたまバケットリストという言葉を最近知ったので
自分でもブログに書いてみる事にした。
どれぐらい実現するのか? 引き寄せの法則の実験にもなるので興味があった。


1、リニア中央新幹線(品川~名古屋間2027年開通予定)に乗るまでは死なない。(61歳)


2、大阪万博(2025年)を見に行く。(59歳)


3、まだ富士山に登った事が無いので挑戦したい。
私の亡き両親が1970年代、50代の時に2人で頂上まで登って写真を撮って来た。


4、東京スカイツリーに登りたい。


5、フランスのベルサイユ宮殿とルーブル美術館に行ってエッフェル塔も登りたい。
(今まで東京タワー、大阪の通天閣、函館の五稜郭タワーは昇った)
  
6、エジプトに行ってピラミッドを自分の肉眼で見たい。


7、ニューヨークに行って、タイムズスクエアを見て、
エンパイアステートビル、自由の女神に登りたい。


8、アメリカのニューメキシコ州ロズウェルに行ってみたい。

1947年7月アメリカ合衆国ニューメキシコ州ロズウェル付近で墜落したUFOが米軍によって回収されたとして有名になった事件。

毎年7月に行われているRoswell's UFO Festivalは今年はヴァーチャルで行われる模様。


9、中国の紫禁城と万里の長城、故宮博物院、上海の未来的な大都会も見たい。


10、イタリアのローマのヴァチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂、
円形闘技場コロッセオ、ピサの斜塔を見たい。


11、ギリシャのパルテノン神殿を見たい。


12、南米ペルーのマチュ・ピチュの遺跡などを見たい。ナスカの地上絵も。


13、メキシコのマヤ遺跡を見たい。


14、南極大陸を観光したい。
南極コウテイペンギンの営巣地と地球最南端・南極点への旅9日間
出発日 2020 年 11 月 26 日
日数 9 日間
代金 $ 75,500 約8,311,040円※


★子どもの頃、インドの山奥で修行してレインボーマンとなり、悪と戦った
ヒーロー物を見たり、
愛の戦士レインボーマン - Wikipedia
『愛の戦士レインボーマン』毎週金曜日19:30 - 20:00に全52話
東宝製作の特撮テレビ番組(1972年から1973年までテレビ朝日系)
堺正章が孫悟空になった西遊記のドラマを見て、
ゴダイゴのED曲ガンダーラを覚えて、心の中で何百回も歌ったり、
西遊記 (1978年のテレビドラマ) - Wikipedia
インドの旅行記の本や記事を読んだりした自分自身の努力や、
様々な【お陰】で初めてインド旅行に行く勇気が出たのは、28歳の時、
平成6年(1994年)の11月だった。丸1ヶ月間、瞑想の修行場に滞在したが
悟れず、超能力も覚醒せず、新興宗教の教祖になる野望は露と消えた(笑)
計5回(合計3か月間)もインドの修行場へ通ったのに(笑)
つまり引き寄せの法則は、限定的にではあるが引き寄せられると身をもって確信できた。


インドへ初めて行った1994年までに、同じ方法で引き寄せた旅行は
・沖縄の石垣島の浜辺での1人キャンプ(1990年。24歳)流れ星を20個ほど見れた。
・鹿児島から山口県までの11日間の徒歩の1人旅(1990年。24歳)
・北海道の富良野のラベンダー畑など(1992年。26歳)
・新潟県の佐渡ヶ島1周1人旅(1993年。27歳) 
★当時(17~33歳)は、派遣社員などを半年や1年契約で退職し旅行を繰り返していた。
★私が1人旅が出来た主な理由は、UFOに誘拐されたいという夢が子どもの時から
あったので、夜の山道も山の中でのテントでの宿泊も怖くなかった。
最悪、熊や人間に殺されても、霊界に旅行できるというポジティブ思考だった(笑)


100まで書こうかと思ったが旅行ばかりだから一旦中断(笑)
何か別の欲望が生まれたら続きを書き足そうと思う。


ネットで「バケットリスト」を検索すると、
私と同じように富士山に登る事を書いている人や
「マチュピチュ バケットリスト」と書いてある人などいて、
みんな考える事は同じなのだと思い、嬉しくなった。


★三浦春馬君の自殺について思うこと。
三浦春馬 - Wikipedia
彼の出演作品は2006年の
ドラマ「14才の母」(志田未来が主演)しか見ていなかったので、
あまり思い入れが無いけれど、
彼の最後の決意、決断した事だから彼の選択の自由を尊重して、
彼の「自殺」を否定はしない。彼の経歴などを読むと
4歳の頃に劇団に入って7歳でNHKの朝の連続テレビ小説あぐり(田中美里)でデビュー。
30歳にして芸歴23年。現在もドラマと映画の仕事だらけ、凄い。そして
7/24(金)「ミュージックステーション」3時間半スペシャルに出演して
生歌を披露する予定だったみたい。

彼のツイッターの最近のツイートは仕事だらけで、読んでいるだけで、
こちらが疲労感を感じるほどだった。


私が彼に伝えたい事は、
お疲れ様。
休養して元気になったら、また地球に旅行に来て、俳優にチャレンジするか
冒険家、発明家などになって、また人類を楽しませてくださいね♪
10/5追加



 


私は高2の3月に中退した。勉強や人間関係に疲れたから。
18歳になって直ぐの5月に居酒屋の正社員に採用されたが約3か月で辞めた。
胃潰瘍になるぐらい胃がムカムカしたから。居酒屋の厨房で同時に10種類もの
料理(からあげ、サンマの塩焼きなど)を同時に作るなど、
人生で最高度のストレスで死にかけた。
自殺するか、退職するかの2択だった。何度も説得されたが辞める事に成功した。
その後、19歳で入隊した陸上自衛隊も
3か月(前期教育・滋賀県)が済んで後期教育(2週間・愛知県)に入った時点で
除隊申請し除隊した。何度も深夜、上官から説得されたが説得を跳ね返した。
そして、
派遣社員として、全国を点々とした。
広島、マツダ自動車(2週間で退社・6畳の部屋に2人で住むという条件が悲惨だった)
岐阜、カヤバ工業(バイク部品)約1か月で退社。雪が一晩で約30cmも積もったので。
東京(羽村市)、日野自動車(埼玉県川口市から半年間通って満期退社)
滋賀(八日市市)、村田製作所で携帯電話の内部の小さな部品を製造(1年間満了退社)
 他にも10社ほどの派遣会社などを渡り歩いた(笑)
それぞれ退職して毎回ではないが、
失業給付金を貰い(月に約18万円x3か月)、海外旅行へ旅立った。
仕事を辞めるたびに家族や友人たちから、心配されたりしたが、
自分の人生の時間を自分の思う通りに生きたかったので気にならなかった。
自分と他人を比較して、みじめな気分になる事もなかった。
逆に優越感さえ感じていた♪


私には座右の銘が10個ぐらいある(笑)
★「備えなくとも、憂いなし」
とか
北斗の拳のラオウの死ぬ時の最期の言葉
★「わが生涯に一片の悔いなし!!」

週刊少年ジャンプ
レーベル ジャンプ・コミックス
発表期間 1983年41号 - 1988年35号


私が北斗の拳で一番好きなキャラは、雲のジュウザ


ジュウザ | 北斗の拳 Wiki | Fandom
ジュウザの名言
おれは あの雲のように 
自由きままに
生きる

×

非ログインユーザーとして返信する