中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

私の愛読書①意識は語る ラメッシ・バルセカールとの対話

解説動画をアップしている人がいたので転載

非二元エッセイ ノンデュアリティ


★この本だけは所有しておらず図書館で借りている。定価が4650円だから(笑)


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意識は語る—ラメッシ・バルセカールとの対話 - ウェイン・リコーマン, ��木悠鼓 - Google ブックス


補足
ラメッシ・バルセカール(1917~2009) ニサルガダッタ・マハラジの一番弟子。
本書の中では質問者とラメッシの表記は活字の濃淡の差で分かるように印刷されている。
私のこのブログで転載する場合は、分かりやすくするために質問者とラメッシの表記を加えている。


第3章 
善と悪 (202ページ~204ページまで転載)


質問者
 私は間違っている人々や制度を変えようとして、人生の多くの時間を費やしてきました。私は自分がそれを放棄できるのかどうかがわからないのです。根本的に間違っていて、変えることが必要なものがいくつかあります。


ラメッシ
 こういった宗教的考えの本質は、自分は善であるというものです。悪いのは自分ではない。人生の目的は善を求めることになっているというのが、非常に確固として根づいています。それは単にそうではありません。善と悪はいっしょに存在しなければならないのです。


質問者
 悪や悪人たち、悪い制度、あるいは悪い選択のようなものはないと?


ラメッシ
 はい、まったくそのとうおりです。条件づけは非常に強力です。私はそれがとても困難であるとよく理解できます。しかしながら、下がなければ上もありえず、後方がなけれえば前方もありえないのを見るのはとても簡単なことで、後方と前方、上と下は単に相対的言葉です。片方はもう片方がなければ、意味がありません。正反対の両極は、それほど基本的でシンプルで明白なものです。それにもかかわらず、私たちの条件づけのせいで、私たちはそれを見ることができません。ですから、理解の最初のかすかな光は、すべての物事には両極があること、変化が人生のまさに本質であるとを見ることです。それを断固として受け入れることが、ものすごく大きな一歩です。


質問者
 そのことは、善と悪は永遠のものではないことを私に暗示しています。


ラメッシ
 まさに。たとえば、中絶の問題を取り上げてみましょう。数年前までは、それは犯罪でした。しかし、今では発展途上国は、それを推進するプログラムをもっています。ですから、善と悪、犯罪と犯罪でないもの、すべてはその時代の状況に依存しているのです。


質問者
 悪い政府、悪い政治があり、ときに非常にひどいことをする集団がいて、私は自分自身を彼らから引き離すことが非常に困難です。私は組織や制度を非個人的なやり方で見ることができません。私は個人についてはそのようにより良く見ることができますが、ナチスの第三帝国とかタバコ会社とか、そういったグループの話になると、それらを全体性の現象として見ることが困難です。


ラメッシ
 わかりますよ。ラマナ・マハルシは個人といったものはない、すべての事柄は非個人的だと強調しました。でも彼は、個々の探求者たちがとてもみじめになる場合があると見る慈悲も持ち合わせていました。彼は探求者たちのみじめさを描写した十一の散文詩を書きました。彼は個人的観点からの最大の励ましは、心がすでに内側を向いているという知識であり、だから「あなたの頭はすでにトラの口の中にある。もう逃げられない」と言いました。
 今日あなたはそれを困難に感じています。しだいに理解が深まれば、その理解があなたの中に忍び込み、今日受け入れ難いことでも明日には明確になることを見てとても驚くだろうと、私は確信しています。すべての個人、すべての集団は、彼らが自分自身の行動だと考えるある行動をもたらすために、ある特徴をもって、神もしくは全体性によって創造されたものなのです。
 


第11章 霊的子供を育てる(p666~p667転載)


質問者
 私は子供を育てることに関して一般的質問があります。子供が霊性を発達させるには、どんな種類の環境がいいのでしょうか?


ラメッシ
 子供を霊的に育てようとするどんな努力もしないようにと、私は非常に強く提案します。そんなことをすれば、途方もない混乱を生み出す可能性があります。事実、子供たちを霊的に育てたいという欲望のせいで、子供たちは途方もない罪悪感をもって育ち、彼らはひどくみじめになります。
 彼らを霊的に育てることは、神がふさわしくやってくれることにまかせ、それを自分の責任だと考えなければ、あなたも子供も両方が幸せなことでしょう。善悪の感覚、自由と規律の組み合わせ、それらはもちろん教えられなければなりません。
 しかし、それを超えて、彼らに束縛を感じさせるほどに善悪について教えたり、彼らが何をすべきか、何をすべきではないかを言ったりすることは、私の意見では、途方もない重荷になる可能性があります。あなた自身の行動が手本となるようにしてください。
 霊性の基本は罪悪感や重荷ではありません。霊性の基本はくつろいだ自由です。このことは一般的には理解されていません。ですから霊性とは、人が途方もない努力と集中でもって追求しなければいけない何かだと思われているのです。それはそうではないと、私は確信をもって言います。
 あなたが言うように、それについて大騒ぎしないようにしてください。探求がそれ自身のコースをとるにまかせましょう。
  


第6章 悟った観点から p266~273


ラメッシの悟り


質問者
 あなたの悟りについて、そして、それがどうやってあなたのところにやって来たのか、
お聞かせください。


ラメッシ
 さて、悟りはきわめて不明瞭な言葉です。悟りという言葉は、光が輝き、至福があふれ出る出来事を暗示しているように思えます。でも、少なくとも私の場合はそうではありません。
 それは非常に穏やかであるけれど、はっきりとした出来事になりえると聞いていましたし、特に老子についての話を読んだとき、それはそうなのだという印象をもちました。皆さんの中にはこの話を知っている人たちもいるでしょいうが、ここで繰り返すのも悪くはないと思います。
 老子の弟子の一人がある朝、達成感で目を輝かせ、顔を紅潮させて彼のところへやって来て言いました。「先生、私は到着しました」。すると老子は、大いなる慈悲をもって弟子の肩に手をあて、「息子よ、あなたはまだどこへも到着していない」と言ったのです。それで弟子は立ち去りました。しばらくしてから彼は戻って来て、それから、非常に落ち着いて言いました。「先生、それが起きました」老子は彼の目を見て、彼を抱きしめて言いました。「さえ、何が起きたのか話してごらん」
 彼は「私は何も起きなかったというあなたの言葉を受け入れました。でも私は、自分がこれ以上できないほど努力をしたことも知ってしました。ですから、私は悟りについて考えるのをやめたのです。私は悟りへのすべての努力をやめ、自分の通常の仕事に打ち込みました。すると突然、何も達成することがないという考えが起こったのです。それはずっとそこにありました!」
 何かを欲しがるどんな個人もいないという理解が訪れたのです。その状態はいつもそこにあります。それが起こりえる前の最後の状態は、何かが起こって欲しいと思う「自分」の不在ということです。


質問者
 すると、あなたが言っていることは、その場所への到着は、そのときになれば起こるということですね?


ラメッシ
 はい! 神の意志があるとき、それが起こるにふさわしいときというのが、正しいことです。


質問者
 その間、それを促すために私たちにできることは何もないのですか?


ラメッシ
 はい、それもそういうことです(笑)。で、私の場合、それが起こった特定の日を知っています。光のお祭り、「ディヴァリの日」と呼ばれている日が一年に一日あり、それはインド全土で共通したお祭りです。この光のお祭りは、悪に対する善、ラヴァナに対するラーマの勝利を称えるものとされています。
 通常、マハラジの集会所では、その日は彼のロフトを清掃する日、まあ「春の大掃除」のようなもので、講話はおこなわれませんでした。私が最初に彼を訪問した年、一九七八年はそうでした。翌年、ディヴァリの日の前日、この理由で翌日の講話はないことが告げられたのです。ところが私の同僚の一人が、もしマハラジが同意するなら自分の家で講話してもらうのはどうかと提案しました。彼の自宅はマハラジの集会所からすぐ近くにあり、そこへ通っているたいていの人たちがよく知っていました。その結果、翌日はこの同僚の自宅で講話を聞くことになりました。彼は通訳の一人だったのですが、その日はやって来る人たちの世話をするので、私に通訳をやってもらえないか頼んできたのです。私は同意しました。
 マハラジが話し始めると、何か奇妙なことが起こりました。マハラジの声が遠くから非常に明瞭に私のところへやって来るように思えたのです。事実、それは通常よりもっと明瞭でした。マハラジは歯がなかったので、私は彼の言葉に慣れるのに少し時間が必要でした。でもその朝は、彼の声は遠くからやって来るように思え、それにもかかわらず、以前よりもはるかに明確で、私の側で何の集中も必要ではありませんでした。私は通訳を始めましたが、それはとても自然で、実際、私は通訳しているのではなく、単に通訳が起こっていることを観照しているだけであることに気づきました。それはまるでマハラジ自身が英語に通訳しているかのようで、私は単にそこに坐っている観照者にすぎませんでした。
 通訳が終わったあと、私は具合が悪くなりました。私は何が起こっていたのか、わかりませんでした。体がその経験に慣れていないという単純な理由で、そんなふうに反応したのです。私の同僚があとで、「ラメッシ、今日はすごく良かった!」と言いました。
 「どんなふうに良かったのですか?」と私は尋ねました。
 彼は「あなたはいつもよりも大きな声で、大きな権威をもって話していて、今までは一度もしたことがなかったジェスチャーもつけていました」と言いました。それで私はただそれを受け入れました。それは何かが起きたという確証でした。でも、起こった何かは、内部では完全な変化でした。外側で私が気づいた唯一の変化は、私の体がある種の奇妙な重さのなさを感じたことだけでした。私はそれを名づけることができず、それに気づいてから落ち着くまでに、一日か二日かかりました。でも、もしあなたがいつどうやってそれが起こったかを私にお尋ねなら、今述べたように起こったのです。言ったように、それは非常に静かな出来事で、もちろん突然で、他のどんなことに比べても突然で…完全に予期せぬことで…完全に自然発生的なことでした。
 そのあと、通訳のときはいつもそんな感じで、マハラジもそのことに気づいていました。彼は英語を理解しませんでしたが、彼はその通訳が厳密に正確でないときは、それを感じました。通訳の最中、マハラジは誰が通訳をしていても、「あなたは彼らに何と言ったのか?」としばしば尋ねたものでした。それから彼は通訳に繰り返させ、承認したり、あるいは「いや、それは私が言わんとしたことじゃない。ほら、君はそれを誤解している。君はよくそれを誤解する(笑)」と言ったりしました。でも、その日以後、私はもはや言われていることに注意を払っていないことに気づき、そのため通訳が自然にスムーズに出て来たのです。
 ある朝、私がマハラジをいつものドライブに連れ出すために、彼の準備ができるのを待っているとき、彼は特に落ち着いた調子で言いました。「それが起こったことが、私はうれしい」。彼はまたその時点で、『ニサルガダッタ・マハラジの教え』の本が出て来ることも知っていて、こうも言いました。「それが起こったことが、私は嬉しい。本は一冊だけではなく、数冊は出て来るだろう。そして、その本が語ることは、私が言ったことの物まねにはならないだろうし、それがどうやって出て来るか、私は知らないし、あなたさえ知らないだろう」


質問者
 ラメッシ、目覚めが起きたとき、肉体の奇妙な感覚、ある種の不快さ、方向感覚の喪失があったとあなたは言いました。それは、意識がもはやその肉体と一体化しないからなのですか?


ラメッシ
 はい。


質問者
 悟りの経験についてあなたが話していたとき、マハラジが「まさにそれは起こった」と言ったことについて、あなたは話しました。あなた自身が自分に「まさにそれは起こった」と言った特定の瞬間があったのですか?


ラメッシ
 一日か二日後、肉体的には普通に戻りましたが、それが起こったことを私は知っていたので、疑いはまったくありませんでした。きわめて正直に言えば、私はマハラジからの認証を必要とはしていませんでしたが、それが実際に来たときは歓迎しました。でも、基本的事実とは、私は誰からもどんな認証も必要なかったということです。


質問者
 あなたにとってその瞬間とは、その二,三日の期間の最後に来たように聞こえます。


ラメッシ
 何かが起こったという感覚は、はい、そうでした。起こったという気づきです。
 


人生をあるがままに楽しむ
  
質問者
 私は今日の夕方、夕陽を楽しむ、それはとても美しいものでした。私があなたにお聞きしたいことは、あなたが夕陽のようなものを眺め、それから、こういった車の騒音を経験するとき、私にとっては騒音は夕陽ほど美しくないのですが、あなたも一つは快適で一つはそうではないと区別するのですか?


ラメッシ
 私はある一定時間以上の夕陽を経験することはできませんし、また騒音を避けることもできません。そのことに私は気づいています。夕陽が永遠に続くように望むこともなければ、
騒音が妨害しないように望むこともありません。言い換えるなら、何であれ今「在る」ものを受け入れるのです。もし美しい夕陽があれば、それを楽しまれます。でも、それが永遠に続くように望むことはありません。普通の人が喜びを楽しむとき、その喜びが続かないというある種の恐れと必ず関わっています。その喜びの瞬間に、質問がわき起こります。「こんなにおいしい食事を食べたのはいつのことだっただろうか? 次はいつ食べることができるだろうか? 私はこんなセックスをまた味わえるだろうか?」。ジニャーニ(悟った人)にとっての喜びはもっと強烈です。なぜなら彼は、それを次にいつ経験できるのかなどと心配しないからです。もし、それがまた来たらけっこう、もし来ないとしても彼は気にしないのです。それゆえ、ジニャーニはマハボギ、人生を楽しむ人として描写されます。彼は無気力どころではないのです。その楽しみの中に楽しむ人は誰もいず、ただ純粋な楽しみだけがあります。


質問者
 そのとき、彼は全存在をその中へ注ぎ込むのですね?


ラメッシ
 それは自然で瞬間的な生です。瞬間的な生を生きる人は誰もいず、ただ瞬間的な生があるだけです。
 


p280~p281
条件づけの機能は継続する


質問者
 あなたは条件づけられた心について、そして悟った存在とはどんな条件づけももっていないことをお話になりました。でもマハラジは、あなたが十五分前に到着するように条件づけられ、あなたが五分前にしか来ないときはイライラしていました。彼の心は条件づけられていたのでありませんか?


ラメッシ
 はい、それはとても良い点をついています。マハラジが「あなたは思考をもちますか?」と尋ねられたとき、彼は「思考だけでなく、欲望と感情もわき起こる。しかし、それらは受け取られない。思考や欲望はわき起こるかもしれないが、それは単に観照されるだけだ」と言いました。悟りのあとでさえ、肉体精神機構は機能し、それはその内在的な特徴に従って機能することができるだけです。マハラジの特徴の一つは短気ということで、今あなたが指摘したことは短気の兆候でした。


質問者
 しかしながら彼は、あなたが定期的に十五分前に来ることを期待するように条件づけられていましたね?


ラメッシ
 待っている訪問者たちがいたからです。ですから、彼の性質のため、彼の短気がわき起こったのです。ジニャーニの中では思考と心配もわき起こり、単に観照されます。それらはどんな残存物も残しません。あなたはマハラジがひどく誰かに怒ったまさに次の瞬間、その同じ人が何かを言い、マハラジが喜ぶのを見ることができたでしょう。どんな反応の残存物もないのです。反応は自然発生的で、それは受け入れられます。もし理解が完全でなく、本物でなければ、その肉体精神機構は「私はジニャーニということになっている。私は怒ることにはなっていない。私は怒らないように覚えていなければならない」という思考をもつことでしょう。マハラジは気にしませんでした。怒りがわき起こるなら、まさに、ただそれだけです。悟りのあとでさえ、悟りが起こった肉体精神機構の違いの幅は非常に大きなものがあります。マハラジは激しい気性に満ちていました。その一方、ラマナ・マハルシは穏やかでめったに怒りませんでした。それはそれぞれの肉体精神機構が元々もっている特徴の違いです。肉体精神機構は同じ特徴に従って多かれ少なかれ機能し続けます。ですから悟りが、悟った存在のクローンを生み出すわけではありません。 


 
p287~p288
質問者
 悟りとは、苦しみも挫折もないゲームをする一つの方法だと、あなたは言いますか?


ラメッシ
 いいえ、たとえば悲しみがあり、あなたはそれを見てそのゲームをやりますが、あなたはそれに反応しません。それは悟りのあとの肉体精神機構に、思考や感情が何もないということではないのです。それは正しくありません。悟りのあとも、その肉体精神機構は肉体精神機構であり続け、それは自分自身の自然の特徴に従って、外側の思考や出来事に反応します。でも、その反応がわき起こる瞬間に、それは観照され、切り離されます。水平的に巻き込まれることがないのです。
 たとえば、喜びを例にとってみましょう。私はかつて次のように尋ねられたことがあります。「もし誰かが本当に理解していることにあなたが気づき、その変容を見るなら、あなたは満足感を感じますか?」と。満足感は起こります。そうであるはずです。その肉体精神機構の中で、あらゆる思考、感覚、感情が起こるはずです。しかし、それは観照され、それから、それは切り離されます。もし家族の中に死別があれば、悲しみが起こりますが、それは継続の中には持ち越されません。その肉体精神機構はその悲しみといっしょに生きないのです。圧倒的な悲しみが起こることもありますが、そのときでも、その肉体精神機構は以前と同じように振る舞い続けます。


ラメッシ・バルセカール


Ramesh Balsekar


英語
Ramesh Balsekar - Wikipedia
ラメッシS.バルセカール(1917年5月25日– 2009年9月27日)は、有名なアドヴァイタマスターである故スリ・ニサルガダッタ・マハラジの弟子でした。幼児期から、バルセカールは非二元論の教え、特にラマナ・マハルシとウェイ・ウー・ウェイの教えに惹かれました。彼は20冊以上の本を書き、インド銀行の総裁を務め、ムンバイの自宅で彼の死の直前まで毎日ゲストを迎えました。

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