中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

私の愛読書「聖母アマチ 愛する子供達へ」

マーター・アムリターナンダマイー・デーヴィー
(通称アンマ(アマチ)・1953~ 68歳インドの聖女)
マーター・アムリターナンダマイー - Wikipedia


アンマの本「聖母アマチ 私の子供達のために」英訳: For My Children
日本語版初版発行 1993年5月 1000冊 (1995年のアンマ来日イベントで購入)
第29回アンマ来日プログラム 東京7/22~24 - 中高年応援チャンネル(55歳 地球旅行 日記)

貴重・絶版本!アンマの愛する子供達への言葉 | Shiva Japan's Blog


寺院に関するQ&A 転載p146~155
Q:寺院は何のためにあるのですか。きれいな偶像を彫った彫刻家の方が崇拝されるに値しませんか。
A:私達が父親の写真を見た時に父親のことを思い出すように、偶像を見た時には、世界の創造主、神のことを思い出します。クリシュナの帰依者は、クリシュナの偶像を見ると、石像ではなく、クリシュナ神自身を思い出します。無知に浸っている私達には、寺院や偶像は必要です。


Q:神のことを思い出すのに寺院は必要ですか。
A:小さい子供は、本に載っている動物の写真を見て、様々なことを学びます。これらの写真は彼らの勉強を助けます。ラクダやトカゲなどがどんなものか理解できるようになります。後で、それが写真に過ぎないことをさとります。子供時代には、これらの写真が知能の発達を促します。


Q:寺院でプージャ(毎日の礼拝)を中止すると、悪い反応が起きると言われていますが本当ですか。
A:人間の決意の結果として、寺院の神々の力が増えます。プージャが中止されると、その力は減少します。そのデーヴァタ(二流の神)の力はそれを取り入れた人のバーヴァナ(決意の堅さ)によって決まります。寺院や家族で行われている毎日の礼拝を止めないで下さい。これらの儀式が中止されると、大変な不幸が起こるかも知れません。
 10日間カラスにエサをやるとします。11日目にエサをやらないと、そのカラスは鳴きながらついて来るので、私達は丁寧な仕事ができなくなります。このように、デーヴァタへの毎日の礼拝を止めると、彼らはいつも巧妙な形で私達に迷惑をかけます。これは弱いマインドの人にはかなり影響しますが、サーダック(霊性の修行者)はあまり影響されません。 
 ボートを作っただけでは十分ではありません。こぎ方を覚えなければいけません。こぎ方を知らずにボートに乗ると、あちらこちらに動きます。こぎ方を学ばずにボートのせいにするのは正しいことですか。同様に寺院を建てただけでは不十分です。正しい世話もしなければいけません。毎日の礼拝は必要です。もし行わなければ、不幸が起きるかも知れません。その時寺院を
責めても、それは無意味です。


Q:デーヴァタ(二流の神)とイシュワラ(神)は違いますか?
A:デーヴァタは人間のサンカルパ(決意)で創られて取り付けられます。人間のサンカルパは限界があるので、人間の創造物はそれを反映します。一方、神の力は無限です。神の力は増えることも減ることもなく永遠です。デーヴァタとイシュワラの違いは動物と人間の違いに似ています。全てはまったく同一であるにもかかわらず、犬は人間と同じような識別力を持っていません。犬は自分を愛してくれる人だけを愛し、他の人にはかみつきます。


Q:もしそうなら、寺院は人間にとって有害になりませんか?
A:決してそれはありません。デーヴァタが礼拝されている寺院の場合だけです。ただ少し気を付けなければなりません。デーヴァタは自分のプラーナ(生命力)が制御できない僧侶に取り付けられます。そのような寺院は決して毎日の礼拝を止めてはいけません。水族館にいる魚を見たことはありますか。毎日水を変えないと、魚の生存に害を及ぼします。毎日のプージャをきちんと行えば、結果として物質的に繁栄します。マハトマ(偉大な魂、悟った存在)が偶像を取り付けた寺院の偉大さはユニークです。彼らは彼らのサンカルパで取り付けた偶像に神聖な力を与えます。アカンダ・サッチダーナンダ(不可分の存在・意識・至福)のサンカルパをつくります。そのような寺院や偶像は神性・力・光輝に満ちています。水族館に住んでいる魚ではなく、川に住んでいる魚に似ています。そのような寺院では、毎日のプージャが止まることは決してありません。プージャが止まっても力の損失はありません。これらの寺院は、大変な人気の的となり、永遠に幸運の象徴となります。
ティルパティ、グルヴァユル、チョッタニカラ寺院はその例です。


補足
ティルパティ寺院(インドの南東部アンドラプラデーシュ州)
グルヴァユル寺院(インド南部ケララ州/ケーララ州)
チョッタイッカーラ デヴィ寺院(インド南部ケララ州/ケーララ州)


Q:なぜ、寺院で人間が生けにえになったのですか?
A:昔の人々の無知がこのことを引き起こしました。彼らは人間の生けにえが神を喜ばせると信じていました。経典の言葉を誤解し、このような犠牲を行いました。現在の世界を見て下さい。政治という名目で殺人がとても多くあります。政党を変えた人を殺したり、違う政党の党員を殺したり、撃ったり刺したりするような残虐行為は日常的になっています。どれかの政党の規定やイデオロギーは、殺人や残虐行為を是認しますか。政策や説教は大変いいですが、実行されることは全く違います。同じようにあの時代にも、ばかげた人がいました。盲目的な献身と信仰がそのような行動を引き起こしました。


Q:この人達は罪を受けますか。
A:それが万人のためなら罪はありませんが、利己的な目的のためなら罪になります。昔、ある村に二人のブラミン(僧侶階級)がいました。二人が同じ病気になりました。医者に相談したところ魚を食べれば治ると言われました。二人とも厳しい菜食主義者だったので途方に暮れました。一人は妻と子供達の要求に従って、魚を食べて治りました。もう一人は、罪を怖れて、魚を拒絶した為に、亡くなりました。彼の家族は母子家庭にされて、大変苦労しました。
 この話では、一人は比較的わずかの魚を食べる事で、自分の家族を守りました。これは非常ではありません。もう一人の人は、魚を食べることを拒絶した為に死んで、家族は残され苦労しました。魚2,3匹よりも家族の方がはるかに大切です。家を建てるために木を切り倒しませんか。これらのことは利己的ではありません。私達が復讐の気持ちとか好き嫌いで行動すると罪になります。


Q:寺院の神聖さがなくなっている理由は何ですか。
A:祭りの名目で人々はお金を集めて寺院で世俗的な催しを行います。これは寺院の環境を不浄にします。人々に献身と正しい考えを育てるかわりに、そのようなプログラムは下品な考えや情欲を作ります。神の名において何とばかげた事がされることでしょう。祭りの名目でお金を集めて、酔って喧嘩をします。寺院の周りで、聴衆のマインドに世俗性をかき立てるドラマや踊りやそのような祭典を行ないます。小さな子供達もこれに影響されます。正しい考えを育てなければならない幼い年齢において、これらのプログラムは彼らを正しい道から脱線させます。このような思想の波は寺院の大気を不浄にします。
 子供達よ。私達だけが自分自身を破壊します。まず立派な人にならなくてはなりません。寺院は純粋な状態で保たれるようにしなければいけません。寺院では献身と信仰を強める神聖な儀式だけを行ないます。毎日のプージャは正しく行います。寺院の周りを不純にしてから、デーヴァタを責めても意味はありません。昔は瞑想やプラーナの朗読、ハタヨガなどは全部寺院で行なわれました。お祭りでは神に関連した話だけが芝居で演じられました。
 お祭りの為に公衆から集められたお金は博愛精神のために使います。あちらこちらの村で、家もなく苦労している人達が大勢います。私達は彼らの家を建てる事ができます。貧しい人達に衣服と食物を寄付する事ができます。お金がなくて結婚式をあげられない人達を助ける事ができます。宗教的な本を出版し、無料で配り、子供達に教える為に役立てる事ができます。孤児院を建てる事ができます。その子供達に、立派な教養と性格を養う事ができます。そうなると、将来、孤児はいなくなります。これら全ては人間同士の一体感を作る助けをします。
 子供達よ、キリスト教やイスラム教の信者を見て下さい。彼らは立派な事をたくさんしています。孤児院や学校などを建設し、孤児達に宗教を教えたり、彼らの必要なものの面倒を見ています。ボロボロの教会を見た事がありますか。ないでしょう。ところが哀れなヒンズー教の寺院を見てごらんなさい。ほとんどのお寺が世話されないままです。寺院を管理する官庁は、お金になる大きな寺院の管理は引き受けますが、小さな寺院は無視します。
 祭りの季節には、寺院の修理と、神聖な儀式を開催するように特別に気を配らなければいけません。私達は結束して、寺院を正しい方法で世話をする必要があります。寺院の神聖さは保たれないと、私達の文化は堕落します。


Q:寺院礼拝を通して、開放を達成する事は可能ですか。
A:可能ですが、その寺院の精神的な意義を理解した上で礼拝しなければいけません。神は寺院に存在しますが、寺院の四方の壁だけだと思わないで下さい。神が遍在している事を堅く信じて下さい。バスは私達を家に最も近いバス停まで連れて行ってくれます。そこからの残りの距離は簡単に歩く事ができます。同様に正しい寺院礼拝は、私達をサッチダーナンダ(不可分の存在・意識・至福)の入口まで連れて行ってくれます。そこから完成の域に到達するまでは、わずかな距離しか残っていません。寺院で生まれても、寺院で死なないで下さい。つまり、初期の頃は、探求者は一手段として寺院礼拝をしますが、最終的な真のゴールはこれら全ての事を越えたところです。



ネットで見つけたアンマに会いにいった人の感想を一部を転載

アンマって?
April 15, 2009, 7:31 pm
「 アンマって? 」って思う人、多いと思う。
ここで書く事は あくまで私の感性によるものやけど・・・




まず、ダルシャン ( 心奥からの愛を込めたハグ ) をする人。
37年間かけて 2800万人以上を抱き締め続けてきました。


そして、様々な救援活動を率先してする人。
緊急災害援助から、医療活動、貧困層の支援などなど てんこもり。
自信持って語れるほど知らないので、詳しくは公式HPなどを調べてみて。


そして、お母さん。
「 アンマ 」 って、インドの言葉 ( 17種類もあるけど(^▽^;) ) で 親愛をこめて 「 お母さん 」 って呼ぶ時の言葉でもあるし。
まさに そのまま。




3年前の5月、私は会った事もないネット上の得体の知れない友人 ( ダルシャw ) の結婚式に招待され、大阪から東京まで夜行バスに乗って、本当に出掛けて行った。( バカか?私はw )
そこで、アンマに出逢った。
ダルシャ夫妻は、アンマの前で結婚式を執り行ったから。


もちろん、ダルシャンも受けた。
アンマが私に向けてくれた瞳は、それまで見たこともない愛情のこもった瞳だった。
親からもきっと受けた事のない ( まぁウチの親はロクな親じゃないけど )、私もきっと我が子に注いだ事のない ( もちろん私もロクな人間じゃぁないけど )、常人離れした深い深い愛情のこもった瞳だった。
夕方から翌早朝まで ずっと会場にいたけど、アンマの愛情は全ての人に注がれ、会場に来れなかった人の元にも降り注ぎ、一瞬たりとも途絶える事はなかった。


その年のプログラムは2日半だったかな?
アンマは何時間もかけて、トイレにも立たず 食事も摂らず、ダルシャンし続けた。( それ以外のご用事もあるし )
一晩かけてダルシャンが終わって、結婚式が終わって、フィナーレも終わって、「 さぁアンマ休んでくれ!(>_<)」 って思った瞬間、アンマはごくごく自然に 会場の掃除を始めた。
・・・・・・。
この人は本物だと思った。




翌年の参加2年目。
初開催となった神戸プログラムで、私はボランティアをした。
メイン配置先は、キッチン&カフェやった。
寄贈食材と寄付金で足りない物を買い足し、ボランティアの人達で調理・販売がされた。
収益は全てアンマの慈善事業で使われる。
心血を注いで働いているボランティアの人達でさえ、お金を払って食べた。
どれだけ多くの人が関わり大きく膨らんでも、隅々までピュアだと自信を持って言い切れる団体だと思った。


その他にも何でも屋として、せわしなく奉仕した。
ボランティアのタグを付けていると、いろんな人に声をかけられるから。
会場案内もしたし、子守もしたし、お悩み相談もしたし、見ず知らずの来場者と語り合ったりなんかもした。


そこで出逢った少年に、目からウロコをはがされた。
小3くらいやったかな?
その少年にやたらなつかれた。
その子もボランティアをしていた。
会場で買った食べ物を、惜しみなく無邪気に 「 あげる!」 ってくれた。
私を少年の母親だと勘違いしたお婆ちゃんが近寄ってきて、「 お腹が空いてたらおにぎりを頂いたんです。どうもありがとう(>▽<)」 とメチャ×感謝感心された。
私も少年に 「 いいな!」 と興味を持たれたインド風ネックレスをあげたり、飲み物を買ってあげたりしてたけど、彼は両親にちゃんとそれを報告し、ご両親がお礼を言いに来た。
注ぐ愛は無償やけど、受けた恩は忘れない。
こんな子どもでさえ、それができるのか。
・・・・・・。
ココにいるのは、そんなヤツラばっかりか。。。
私の育児の目標は、この少年のような子に育てる事に決まった。




参加3年目。
出産からまだ間もなかったため、行くのをギリギリまで悩んだ。
大勢の中に抵抗力のないベビーを連れて行って、病気にさせたりしたくなかった。
それに夫の協力がなきゃ、公共の交通機関で行く訳にもいかない・・・。
でも、なんとかアンマに会いたかったし、産まれたての我が子にアンマのダルシャンが欲しかった。
なかなか言い出せずにいたのに、「 どうしても行きたい。」 と言ったら、あっという間に決まった。
初めて家族揃って参加できた。
ウチのチビを見て、会場内ですれ違う人達みんなが、合掌や 温かい微笑みや 祝福の言葉をくれた。
全身真っ白のインドの民族衣装に身を包んだ私を見て、家を出る時はちょっと引いてた夫が、とても喜んでいた。




参加4年目。
今年です。




初めて訪れる人は、ちょっと引くかも知れない?
そこはインドだし、宗教色強いし。
アンマは世界的に宗教指導者という位置づけやし、お弟子さんもいる。
アンマを神様だと思っている人も、たくさんいる。
マントラ ( その人個々の呪文 ) を貰いたいと思ったら、「 アンマをグルと思うこと 」 なんて条件も出てくるけど、信者になるとか、そこまで小難しいことじゃなくって、子どもが道をそれないように親が見守るのとおんなじように、アンマが私たちを見守ってくれるってこと。
アンマの子どもとしてアンマを信じなさいって感じかな。


あなたが無宗教でも、他の宗教を信じていても、どんな人間であっても、その全てを包み込んでくれるのがアンマ。
●●教という名前がついている訳でもない。
アムリタハートっていうのが宗教名? 団体名?
そんなこと、どっちでもいい。
アンマに 「 あなたの宗教は?」 って聞いたら、「 愛 」 って答える。
私も、アンマがそう思っているんだと感じる。
愛の人、アンマ。
大好きです。




インド旅行するつもりで、是非会場に遊びに来てください。


長い文章を読んでくれてありがとう。
オーム ロカーハ サマスターハ スキノー ヴァヴァントゥ

 ( 世界中が幸せでありますように )

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