中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

①第1章「ニサルガダッタ・マハラジとの対話」

ニサルガダッタ・マハラジ
1897年4月17日~1981年9月8日 84歳没
出生地: インド(ムンバイ)
アドヴァイタ・ヴェーダンタ哲学の賢者
不二一元論(ふにいちげんろん,ノンデュアリティ,非二元,アドヴァイタ・ヴェーダンタ哲学)
不二一元論 - Wikipedia


私は掲示板は、ほとんど見ない。皆それぞれ理解度が違って良い、完璧だと感じるので。
掲示板
ニサルガダッタ・マハラジ「私は在る」I AM THAT
シャンカラ/マハルシ等【不二一元論】アドヴァイタ  
ラマナ・マハルシ他[不二一元論]アドヴァイタ総合15
ラマナ・マハルシ他[不二一元論]アドヴァイタ総合16 [無断転載禁止]©2ch.net



この本を深く理解しているYouTuberさんがいたので紹介
mandalacast (16本)

ニサルガダッタ・マハラジの本をブログで転載している人は100人ぐらいはいると思う。





私が昔書いていたブログ

ニサルガダッタ・マハラジの友人でもあったモーリス・フリードマンが
マハラジと質問者の会話を録音したテープを英訳した。
モーリス・フリードマンの経歴をグーグル翻訳で転載
Maurice Frydman - Wikipedia
生年月日: 1901年10月20日
出生地: ポーランド
死亡日: 1976年3月9日, インド
モーリス・フリードマン(別名スワミバラタナンダ)はエンジニアであり、人道主義者でした。彼は人生の後半をインドで過ごしました。彼はマハトマガンジーのアシュラムに住んでおり、インドの独立のための戦いに積極的に参加しました。特に、アウンド州の新しい憲法の起草を支援し、アウンド実験になりました。彼はポーランド系ユダヤ人であり、その後にヒンドゥー教に改宗。


フリードマンは1930年代後半に、ワルシャワからのユダヤ人難民としてインドにやって来ました。成功した資本家であり、彼はバンガロールのマイソール州政府電気工場のマネージングディレクターでした。やがて彼はヒンドゥー哲学に引き継がれ、サニヤシになりました。フリードマンは、ガンジーと一緒に、尽力したバワンラオ・シュリニワスラオ・パント・プラチニジー、のラジャアウンドゥ1938から9の住民へのラジャからアウンドゥの状態のルールを引き渡さ11月宣言を起草するうえで、


彼はアウンドのラジャの息子の一人と知り合いになり、ラジャ自身からも高く評価されました。ラジャの息子、アパ・パントによると、「フリードマンは私の父に大きな影響を与えました。彼の75歳の誕生日に、彼は言いました。自由闘争に役立つので、人々に力を与え。」


インド独立運動への共感者として、ラジャはこの考えを受け入れました。 Frydmanは宣言草案を書き、Rajaと彼の息子のApa Pantは、マハトマが州の新しい憲法を作成したワルダのガンジーを見に旅行しました。アウンドの人々に完全な責任政府を与えた憲法は、1939年1月21日に採択されました。この「アウンド実験」は、独立前のインドでは珍しい出来事でした。 。州の大衆の間で最初の躊躇があった後、それは非常に成功したことが証明され、1948年に藩王国がインドに合併するまで続きました。[7]囚人についての質問が出たのは、アウンドの市民に自治を与えるこの過程の間にでした。フリードマンはその後、開かれた刑務所で囚人の世話をする責任を引き受けました。その後、これはボンベイで急成長している映画産業の注目を集めました。最近ではボリウッドとして知られています。このエピソードを元に、映画「Do AankhenBarahHaath」が制作されました。フリードマンの典型的なように、彼のクレジットの時が来たとき、彼はクレジットを取ることを絶対に拒否しました(メーカー、V。シャンタラムは、エンドクレジットの間に技術コンサルタントとして彼にクレジットを与えたいと思っていました)。


インドにいる間、フリードマンはマハトマガンディーの弟子になり、彼のアシュラムに住み、そこでガンディー自身が使用する糸車を作りました。Frydmanは、エンジニアリングスキルを使用して、ガンジー用にいくつかの新しいタイプのスピニングホイールを作成しました。これにより、インドで最も効率的で経済的なスピニングホイールを見つけることに興味をそそられました。


彼はネルーの近くにいて、ラマナ・マハルシとジッドゥ・クリシュナムルティと関係がありました。
アドヴァイタの第一人者であるニサルガダッタ・マハラジの長年の友人であり、彼をジュニャーナと見なしていたモーリス・フリードマンは、1977年にインドで亡くなり、スリ・ニサルガダッタがベッドサイドにいました。Frydmanは、Nisargadatta Maharajのテープ録音された会話を編集し、1973年に出版された英語の本I Am Thatに翻訳しました。IAmThatには、Frydmanによって書かれた「 NisargaYoga」というタイトルの付録が含まれています。


フリードマンは助けワンダ・ダイナウスカ、ポーランド・インド・ライブラリー(Biblioteka Polsko-Indyjska)を確立するために、1930年代にインドに来たポーランドのtheosophistを。ライブラリには、「インドからポーランドへ、ポーランドからインドへ」を目的とした本のコレクションがあり、インドの言語からポーランド語への翻訳、およびポーランド語から英語への翻訳が含まれています。第二次世界大戦中、彼はポーランドの孤児をシベリアから移送するのを手伝い、1939-1941年に東ポーランドがシベリアに併合された後、ソビエトによってそこに追放されました。彼らはシベリアからイランを経由して(ポーランド軍のヴワディスワフ・アンダース将軍と共に)主にインド、ケニア、ニュージーランドに移されました。1959年以降、彼はインドのチベット難民とともにワンダディノフスカを支援しました。



(1897年4月17日– 1981年9月8日)は、非二元論のインドの第一人者。
誕生1897年4月17日ボンベイ、 ボンベイ管轄区、 英領インド
死没1981年9月8日(84歳)ムンバイ、インド
モーリス・フリードマンによるマラーティー語での彼の講演の英訳であるI Am Thatの1973年の出版は、彼に世界的な認知と信者、特に北米とヨーロッパからの支持をもたらしました。
★英語版のウィキペディアからの転載
Nisargadatta自身が訪問者に言った:
私はここに来る何人かの人々に非二元論について話すかもしれません。それはあなたのためではなく、あなたは私が他の人に言っていることに注意を払うべきではありません。私の会話の本[IAm That]は、私の教えの最後の言葉として受け取られるべきではありません。私は特定の個人の質問にいくつかの答えを与えました。それらの答えはそれらの人々を対象としており、すべてを対象としたものではありません。指導は個人ベースでのみ可能です。すべての人に同じ薬を処方することはできません。
 


「アイ・アム・ザット 私は在る ニサルガダッタ・マハラジとの対話」
第1章 「私は在る」という感覚 p23~p25転載


質問者
毎朝、目覚めとともに世界が突然現れるのは、日々体験することです。それはいったいどこからやってくるのでしょうか。


マハラジ
何かが現れる前に、それに対する誰かがそこにいなければならない。すべての出現と消滅は、何か変わることのない背景に対する変化を前提としている。


質問者
目覚める前、私は無意識でした。


マハラジ
どういう意味だろう? 忘れてしまったのか、それとも体験しなかったのだろうか? たとえ無意識のときでも、あなたは体験しないと言えるだろうか? 記憶の忘却、それが存在していないことの証明になるだろうか? あなたが存在していなかったと、実際の体験として語ることができるだろうか? マインドが存在しなかったと言うことさえできない。呼びかけられて、あなたは目を覚ましたのではなかったか? そして、目覚めて最初に起こった感覚は、「私は在る」(I AM)ではなかっただろうか? 眠り、または気絶の間にも、意識の種子は存在していたはずだ。目覚めのときの体験は、「私は在るー身体ー世界」とつながっていく。それは連続して起こるように見えるが、実際には、世界のなかで身体をもつというひとつの観念として、すべて同時に起こるものだ。誰かとして在ることなく、「私は在る」という感覚がありえるだろうか?


質問者
私はつねに記憶と習慣をもった「誰か」です。それ以外の「私は在る」を私は知りません。


マハラジ
何かがあなたを知ることから妨げているのだろうか? ほかの人が知っていることを知りたいと思ったとき、あなたはどうするだろう?


質問者
彼らの指導のもとに、その知識の源泉を探るでしょう。


マハラジ
あなたにとって、あなたが単なる身体にすぎないのか、あるいは何かそれ以外のものなのかを知ることは、重要ではないだろうか? あるいはまったく何ものでもないかもしれないということを? あなたが抱えているすべての問題は、あなたの身体の問題、食事、衣服、家、友人、名前、名声、安全、生存だということがわからないだろうか? これらの問題すべては、あなたが単なる身体ではないと悟った瞬間に消えるのだ。


質問者
私がこの身体ではないと知ることが何の役に立つというのでしょうか?


マハラジ
あなたが身体ではないと言うことさえ、まったくの真実だとは言えない。ある意味では、あなたはあらゆる身体、ハート、マインドのすべて、またそれ以上なのだ。「私は在る」という感覚のなかに深く入っていきなさい。そうすればあなたは見いだすだろう。忘れ去ってしまったものを見つけだすにはどうするだろう? 思い起こすまでマインドにとどめておくのだ。「私は在る」という存在の感覚が最初に現れる。それがどこからやってくるのか、自分に尋ねなさい。あるいは、それをただ静かに見守りなさい。「私は在る」という感覚のなかにマインドが動じることなく定まったとき、表現不可能な、しかし体験可能なひとつの境地へとあなたは入っていく。何度も何度も試みることだ。そうすれば、「私は在る」という感覚は、つねにあなたとともにある。あなたが身体、感情、思考、観念、所有物などとそれに付随させてきただけだ。こういった自己同一化は、あらゆる誤解を招く。そのため、あなたは本当の自分ではないものを自分自身と見誤ってきたのだ。


質問者
では、私とはいったい何なのでしょうか?


マハラジ
あなたが何ではないか、ということを知ればそれでいい。あなたが何なのかを知る必要はない。なぜなら知識とは既知なるもの、知覚されるもの、あるいは観念としてしか表せないため、自己知識といったものはありえないからだ。それゆえ、あなたが何なのかということは、完全な否定においてしか表せない。あなたに言えることは、「私はこれではなく、あれでもない」ということだけだ。意図をもって、「これこそ私だ」と言うことはできない。それはまったくあなたではありえない。それはまったく意味をなさない。あれやこれ、と指し示すことができるものは、あなたではありえない。何かほかのものだとさえ言えない。あなたは知覚や想像を超えた何かだ。それにもかかわらず、あなたなしでは想像も知覚もありえない。あなたはハートの感じること、マインドの考えること、身体の為すことを観察する。
そのこと自体が、あなたはあなたが観察するものではないということを示唆しているのだ。
あなたなしで知覚や体験が可能だろうか? 体験とはかならず何かに帰属するものだ。誰かが、これは私の体験だと言明するのだ。体験者なくして体験はありえない。体験者が体験にその実在性を与えるのだ。あなたが体験できないもの、それに何の価値があるというのだろう?


質問者
体験者としての存在の感覚、「私は在る」という感覚もまた体験ではないでしょうか?


マハラジ
明らかに、体験されたすべてのことは体験だ。そして、すべての体験のなかに体験者が現れる。記憶が連続するという幻想を与えるのだ。実際には各体験にそれぞれの体験者がいる。そして、同一であるという感覚は、すべての体験者と体験との関係の根底において共通の要因があるためだ。同一性と連続性は同じものではない。ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、そのすべての色は同じ光源をもとにしているように、数々の体験者も記憶においては別々でありながら、本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。この本質こそが根源、基礎、そして時空を超えたすべての体験の「可能性」なのだ。


質問者
どのようにしてそれを得るのでしょう?


マハラジ
それを得る必要はない。なぜなら、あなたがそれなのだ。あなたがそれに機会を与えれば、それがあなたを得るだろう。非実在のものへの執着を解き放ちなさい。そうすれば、実在はそれ自身へと即座に速やかに入りこんでいくだろう。自分自身の存在をあれやこれや想像するのをやめることだ。そうすれば、あなたがすべてのハートであり、源泉であるという認識は明らかになるだろう。それとともに選択でも、偏愛でも、執着でもない、すべてのものを愛すべき、そして愛する価値あるものへと変容させるひとつの力、大いなる愛が現れる。


 
★私の補足
2005年にこの本を読んで以来、約16年、未だマハラジの境地には達していませんが、
彼が何を言わんとしているのかは徐々に理解しつつあります。


「私は在る」
この言葉を毎日復唱しただけではピンと来ない。心境の変化は感じられない。
「私とはいったい何なのか?」と言う、根源的な問いを突き詰める事こそが、
人間が最終的に求める価値のある唯一のものだと、マハラジは断言します。
例えると、服のボタンの穴を掛け間違えズレたまま服を着てしまっている事と同じで、すべての物事に対して完全な充足感を感じられない、いつも欠乏感を感じてしまう原因が、私たちが根本的に、儚いものばかり間違った物を追い続けているからなのです。
つまり、自分自身の本当の正体を忘れている事からくる焦燥感。
真の自分自身に悟った瞬間、
自分自身が【不死の永遠の意識・気づき】なのだと思い出し、至福に包まれる。
私はまだ55歳の段階で、90%ぐらいしか思い出していない。
もし95%ぐらい思い出したら、新興宗教を立ち上げて、迷妄の人生となり悪い意味で歴史に名を残す運命になると思うが、今生の残された時間でそこまではいかないと感じる(笑)
私は今生では残った煩悩を燃焼させることに費やし、
来世で聖者の人生を送り、地球での学習期の有終の美を締めくくろうと計画している(笑)

私の回答
現在、神様は大宇宙に変身して、3次元を体験中です。
つまり厳密に言えば、私たちも神の一部なのです。
人間は神の一部ですから、全知全能の能力はなく、
全知全能の一部、0.0001%ぐらいしか発揮できない(笑)
他の昆虫などは枯れ葉に擬態して身を守る事に、神の能力を使用している。
カメレオンも自分の体を木の枝の色に変える神の能力で身を守っている。
人間だけは特別な使命があり、将来、別の惑星に地球の動植物を移住させる役目があるので知能を発達させられている。
人間は神から依怙贔屓されているのだけど、知能の発達を加速させる目的で、戦争や犯罪など、善悪のストッパーも外され、競争原理を最大限に組み込まれて、馬車馬のように、地球の45億年の全生物の歴史で最高度の異常な進化スピードで進化を加速させられている。親が子を殺したり、子が親を殺す事件が世界中で発生しても、進化が最優先されている。
地球の全生物の種子、受精卵を別の惑星に移植させ、惑星改造テラフォーミングする日を一日でも早める神の計画があるのだと私は推測している。


Q
私には何にもわからないのです。どうして人間には…
私には何にもわからないのです。 - どうして人間には、考えるという... - Yahoo!知恵袋
地球の未来 ウィキペディア(一部転載)
地球の未来 - Wikipedia

今後の40億年間、太陽の光度は絶えず増加を続け、地球にとどく太陽放射の増大をもたらす。太陽放射の増大はケイ酸塩鉱物の風化を加速させ、大気中の二酸化炭素濃度を低下させる。今から6億年後には、地球の二酸化炭素濃度はC3型光合成を継続するための水準を下回り、樹木の生存は不可能になる。一方で、一部の植物はC4型光合成を利用しており、10ppmという低い二酸化炭素濃度でも存続することができる。しかしながら、長期的な傾向は陸上の植物をすべて死滅させることになる。地球の食物連鎖の基礎である植物の絶滅は、ほとんどすべての動物の死も意味する。

タンポポの白い種は風に乗って、遠くへタンポポの種を拡散する。
その自然のシステムを見て、いつも思う、
人間も科学技術を発展させ、絶滅に対応する。
太陽が大きく膨れて、地球に生命が住めなくなる環境になることが
初めから決まっていると、全生物は本能で知っているから、
地球の生物は、別の住みやすい惑星に移住する為に、
代表として、人間を進化させることを【地球全生物会議】で決定して
人間を進化させる為に、全生物の知恵、奥義を人間に結集させる為に
人間は、全生物を食べて、脳に知恵を集める作業を行って
宇宙へ飛び立つ、知能、科学技術を手に入れた。


人間は陸上の動物を食べて、陸上を早く移動するクルマを発明し
魚を食べて、海を中を進む、潜水艦や船を発明し
鳥を食べて、飛行機や宇宙船を発明した。


すべて、宇宙が誕生した137億年前から決まっていた、計画通りの
シナリオ、台本。


★私には、すべての事が、台本シナリオ通りに
進んでいるように感じる。
人間の犯罪や戦争も、1人1人の小さな嘘さえも、
すべて計画通りに進行しているように感じる…。


ノアの方舟 - Wikipedia
ノアの方舟(ノアのはこぶね、英語: Noah's Ark)は、旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事である。もしくは、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。「はこぶね」は「方舟」のほか、「箱舟」「箱船」などとも記される。
『クルアーン』(qur’ān コーランはイスラム教の聖典)
にも類似の記述があり、「ヌーフの方舟」と呼ばれる(11章 フード)


もちろん、未来の人類は、別の惑星に移住する時に
地球の生物や動物を連れて行きます。


人間が別の惑星に移住するテーマの映画が
たくさん作られている。
人類は心の準備をさせられている。
↓ 
次、女性に生まれ変わろうと思えば、今何をすればいいでしょうか?佛... - Yahoo!知恵袋
女に生まれたいという願い、執念、祈り、
自分自身の心、魂をそういう思いで一杯にした状態で
亡くなれば、死後でも、その思いは持続していて、
望み通り、次は女の子に生まれる可能性が高くなると思われます。


ちなみに私(男)は女好きだから、
5人の姉がいる家族に生まれていました(笑)


私の場合、次は他の星の知的生命体(宇宙人)に生まれ変わって
UFOに乗って地球観光に来る計画なので
宇宙人物の映画をよく見ています。
「未知との遭遇」

「ミッション・トゥ・マーズ」

「ノウイング」

この3つの映画の共通点は、映画のラストで
宇宙人が人間をUFOに乗せて旅立つという点です(ネタバレ)


『インターステラー』


「パッセンジャー」

『パッセンジャー』予告編


プロメテウス



死にたい、自殺したいと相談する人の相手をしてあげてる人にお聞... - Yahoo!知恵袋

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