中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

十牛図 (じゅうぎゅうず)自分自身の理解の過程を残すメモ帳


十牛図 - Wikipedia
十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。
「真の自己」が牛の姿で表されているため十牛図といい、真の自己を求める自己は
牧人(牧者)の姿で表されている。十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)や牧牛図ともいう。
作者は、中国北宋時代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵(かくあん)。


廓庵以降、十牛図は世の中に広まっていたとみられるが、十牛図の作例はそれほど多くないとされる。よく知られている作例としては室町時代前期の禅僧の絶海中津が描いた十牛図(相国寺蔵)、室町時代中期の画僧の周文が描いたと伝えられる十牛図(相国寺蔵)がある


★私の恣意的(勝手気まま)な、
十牛図 (じゅうぎゅうず)の第一図から第十図までの解説(笑)


幼児の未熟な心から、賢者の悟りの境地になるまでの変化


1.尋牛(じんぎゅう)★本当の自分自身を尋ねる自問自答の旅のスタート★
ぼくは、いったい何?そもそも人間って何? 生きるのが辛い死にたい。
自分探しの旅に出たいって周りに言ったら馬鹿にされた。
もう皆が、ぼくが自殺するように追い詰めているようにしか感じない。
もう何もかも訳が分からない。自分自身が何なのか理解したいだけなのに、
理解する時間さえくれない、息苦しい世界。もうこんな世界で生きる意味なんて無い!
引きこもってネットの世界で自分探しする安上がりな旅の方法しか、ぼくには許されていない。


2.見跡(けんぜき/けんせき)★ネットで自分と同じ理由で他人を憎んでいる人が大勢いる。自分だけが変人じゃなかった。ぼくだけが悪魔じゃない、悪魔はこの世界にたくさんいた。でもその悪魔たちの足跡を追って、追いつきたいとは思わない。心の綺麗な人の足跡を辿って、100%尊敬できる人間、偉人に出会いたい、弟子になりと思わせる尊敬できる偉人か賢者と運命の出会いをしたい。ときどきネットで尊敬できそうな人を見つけて、その人の歴史を知り感動するけれども、もう死んでこの世にいなかったり、生きている人であっても、色々と黒歴史、悪い噂があって心底尊敬できそうな人物に出会えていない。本当のぼく自身を教えてくれる、ぼくを覚醒させてくれる、ぼくを悟らせてくれる人、本、哲学、宗教、何でもいいから、ぼくを本当に成長させてくれる本物に近づきつつあると感じる段階。


3.見牛(けんぎゅう)★生きていて良かったと実感する感動体験を与えてくれる恋を経験したり、スポーツで感動歓喜する結果を残したり、猛勉強して希望の学校に入学したり、資格を取得したりする。人生の頂点ピークかもしれない体験の後に、その興奮が醒めた。目標を達成したのだけれど、それらの外部が与えてくれる感動は刹那的で短時間しか続かない。
目標を達成しても、次から次に毎回、欠乏感がやってくる。自分の中の感動を欲しがってばかりいる我儘な子供の心をどうにかしなければいけないと悟る。清々しい無欲な賢者の側面の自分自身を発見し、澄み切った青空のような心を数分間だけ感じたけれど、直ぐに強欲な心が復活し、欲しがりオバケの自分がまた意気消沈する日々に逆戻りしてしまう段階。


4.得牛(とくぎゅう)★世の中の99%の人は心の底から尊敬できる人には出会えないと悟る。もう亡くなってしまった偉人、賢者を心の師として、その人に近づく事を人生のテーマ、課題にして生きようと決意する。
 暴れる牛、欲望を100%禁止すると、逆に欲望に悩まされると悟る。欲望にコントロールされる側に自分がいると悟る。躾けの厳しい家庭の子供がグレて不良になるパターンがある。欲望を悪だと一方的に、短絡的に断罪する決めつけをしてはいけない。
マンガのデスノートで例えると「夜神月(やがみ らいと)」と「L(える)」の両方に対して同じ割合の愛情を注げるフラットな精神の境地が正解だと知る。若い人の多くは、どちらかに共感してしまい偏る。夜神月とLのどちらも、私たちと同じ仏(神)の子供だという真理を悟れない。みんなが平等に愛の存在だという真理が理解できない。
★たぶん私自身は今4番目の段階で死ぬまでに6番目まで昇れたら良しとしている(笑)


5.牧牛(ぼくぎゅう)夜中の散歩で、車も他人もいない、たった3mの横断歩道でも信号無視をしない、余裕のある境地。馬鹿正直にルールを守る人間になったという訳ではない。
道端で500円玉や千円札を拾っても、馬鹿正直に交番に届ける事はしないで、コンビニの募金箱に入れる。つまり公務員の仕事を増やす無駄な事はしない合理的なケースバイ・ケースの臨機応変の賢者のレベル(5千円以上は交番に届ける)。十牛図の10の段階まで昇った賢者は道端で500円玉が落ちていて見ても、無心なので拾わない。誰かに落ちていると教える事もしない。それが1億円でも同じでスルーして、誰にも教えない。その1億円を誰かが拾って不幸な人生になって命を失う結果になったとしても後悔を微塵も感じない。宇宙は常に完全で完璧だと悟っているから。 


6.騎牛帰家(きぎゅうきか)例えるとストリートで演奏する芸術家。道行く見物人から貰ったポケットマネーはコンビニの募金箱に全額入れる。その善行を誰かに言ったりSNSで自慢することもしない。6番目の段階では、自分自身が仏(神)の楽器だと満足している段階(1日1食で平気な段階の人間)
10番目の段階では、神の事も悟りの事もまったく思い出さない、至高の空(くう)の段階。
  
7忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)まったく修行しない段階。
修行を卒業した段階。善行もしない段階。
弟子になりたいと人が寄って来ても無関心の段階。何も言わない無反応の段階。
  
8.人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)
あまりにも「無」を体現している虚空のような人間。
他人からは近寄りがたい存在になる。


9.返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん)
完全、完璧な世界を堪能するだけの境地だったが、この肉体を去るまでに、この境地の引き継ぎを行う段階。それは欲ではなく、単なる役目だと悟る段階。難しい修行や教えを与えるのではなく、自らの生き方、行動のみで悟りの気配を伝承、伝播させる。


10.入鄽垂手(にってんすいしゅ)のんびりする事を止め、人々の簡単な願いにも尽力を尽くす日々で、ある日、静かに大往生する。賢者の雰囲気が消え、普通の人のように行動して、自然体あるがままを体現する。


十牛図 - Wikipedia
十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。
「真の自己」が牛の姿で表されているため十牛図といい、真の自己を求める自己は牧人(牧者)の姿で表されている。十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)や牧牛図ともいう。作者は、中国北宋時代(960年 - 1127年)の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵(かくあん)


廓庵以降、十牛図は世の中に広まっていたとみられるが、十牛図の作例はそれほど多くないとされる。よく知られている作例としては室町時代前期の禅僧の絶海中津が描いた十牛図(相国寺蔵)、室町時代中期の画僧の周文が描いたと伝えられる十牛図(相国寺蔵)がある。


構成と内容
十牛図は十枚の図と詩からなる。

廓庵の十牛図には弟子の慈遠によって次のような意味の序が付けられている。


どんな人にも仏の真源、仏性が備わっているが、迷いの世界に入り込みもがき苦しんでいるので、そこから逃れる方途をこれまでも示されてはきたがそれらは不十分であったので、新たに廓庵禅師は牧牛によってその方途を示された。
 


第一図から第十図
 1.尋牛(じんぎゅう) - 仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。
 
2.見跡(けんぜき/けんせき) - 経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。
 
 3.見牛(けんぎゅう) - 行においてその牛を身上に実地に見た境位。
 
 4.得牛(とくぎゅう) - 牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。


 5.牧牛(ぼくぎゅう) - 本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。
 
 6.騎牛帰家(きぎゅうきか) - 心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。
  
7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん) - 家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。
 
8.人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう) - 牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。
 
9.返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん) - 何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。


10.入鄽垂手(にってんすいしゅ) - 悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。


(Wikipedia転載)


「十牛図」は、中国の宋の時代の禅の入門書です。
 絵には、それぞれ漢文の「序(じょ)」と漢詩の「頌(じゅ)」がつけられ、禅の考えや絵の説明が書かれています。漢詩(頌)は廓庵師遠(かくあんしおん)禅師が作り、
序は弟子の慈遠(じおん)禅師がのちに付けました。
十牛図 | 禅のこみち――萬福寺


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十牛図について - 仏教についてのひとりごと


十牛図とノンデュアリティ(非二元、不二一元論、アドヴァイタ・ヴェーダンタ哲学)は
深い部分で同一だと感じる。


mandalacast さんのノンデュアリティの解説

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