中高年応援チャンネル 60歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

ラマナ・マハルシ

マハラジ

『Star People』Vol.5 Spring 2002(絶版)

(ラマナ・マハルシが戦争について語った部分を転載)


特集 テロを契機とした人類の転換


ラマナ・マハルシ
世界平和と内なる平和

柳田 侃(ただし)  日本ラマナ協会会長 追記(1927.8.20~2004.8.16)



 ロシア革命、第一次大戦、第二次大戦、インド独立、こうした世界史の激動のさなかでも、賢者ラマナ・マハルシは南インドの山中の洞窟で、瞑想に耽っていた。
そして『外の世界ではなく、内なる平和に意識を向けよ』と説いた。
 この教えを『小乗的な無関心主義』と、とる人もいれば、『瞑想の最高の境地』と
評価する人もいる。
 マハルシの真意はどこにあるのだろうか?
9・11のテロ事件に対して、マハルシなら何を語るだろうか? 
日本ラマナ協会会長 柳田 侃がこうした観点から書いた文章を紹介しよう。


『正義の闘い』はテロを根絶するか?


 去る9月11日アメリカで世界を震撼とさせる惨事が起こりました。世界最大の経済力と世界最強の軍事力を誇る超大国を象徴する建物に何ものかが決死の一撃を加えたのです。テレビでリアルタイムに世界に流された映像は、余りにも劇的なものでした。
 すべての出来事は原因と背景があって起こります。しかし数千の罪なき人びとの命を奪った残酷な行為を目のあたりにして、いまはそれを冷静に分析することさえテロリストを利するとして忌避される異常な状況にありますが、この事件の背後には、億を越える人びとの過酷な不平等と貧困、暴力もやむを得ないと考える追いつめられた民衆感情と、それを生み出した富める大国の傲慢と無関心があったことを否定することができません。
 かつて資本(主義)の専制によって疎外された労働者の階級闘争と暴力革命で地上に天国を築こうとした共産主義に替って、今や『イスラム原理主義』のテロが、イスラム諸国を含む『第三世界』の差別と絶対的貧困をもたらした超大国の横暴と覇権を告発しているかのようです。
 しかし彼らの『正義の闘い』は、憎悪にもとづく暴力主義と個人の尊厳を無視する全体主義のゆえに支持することはできません。他方、過去の度重なる戦争でも自国内の惨禍を経験したことのない超大国は、全く自制心を失い、いたずらに憎悪をあおり立てて武力による報復を開始しました。これがテロの根絶につながるとは到底予測できません。
 状況は異なりますが、かつてわたしたちはこの同じ超大国の2発の爆弾によって、今回の事件の数千倍を上回る数の罪なき人々の命を奪われました。このヒロシマとナガサキを忘れない人びとは、深い怒りと悲しみを越えて、いかなる理由による戦争も拒否し、今不戦の誓いを新たにしています。にも拘わらずわが国の為政者は、少しのためらいもなくこの同じ超大国の「自衛権の発動」としての武力攻撃に賛同し、最大の貢献をするという事態に陥っているのです。



世界平和のための最善の方法


 このような日常世界の不条理の中で、いまこそ真理を見極める英知が求められているのです。 
ラマナ・マハルシは第2次世界大戦に直面しアーシュラムを訪れた西欧人の信奉者から
『世界平和のために何をするのが最善の方法ですか』と質問され、次のように答えています。
『世界とは何ですか。平和とは何でしょうか。また誰がするのですか。
世界はあなたの睡眠中にはありませんし、あなたが目覚めている状態では、あなたの
心の投影という形をとって現れています。ですからそれはひとつの観念でありそれ以外のものではありません。平和とは不安がないことです。その不安は個人の中に起こってくるさまざまな想念のせいであり、その個人は純粋意識から起こってくるエゴにほかならないのです。平和をもたらすということは、さまざまな想念から解放され、純粋意識としてとどまっているならば、周り全体が平和だけに包まれます』
 信奉者はより具体的に、『もし人が悪いと思うような何かをすることによって、誰か他の人がより大きな悪から救われるとしたら、そのとき人はそれをすべきですか。
それともすることを慎むべきですか』とたずねました。マハルシはこれに答えて
『何が正しく何が悪なのでしょうか。あるものが正しく他のものが悪であると判断する基準はありません。個人の性質によって、また周囲の状況によって意見は異なります。それもまた観念なのであってそれ以外の何ものでもありません。それについて心配しないで、もろもろの想念を取り除きなさい。もしあなたが常に正しいことの中にとどまっているならば、正しいことは世界に行きわたるでしょう』
信奉者の一人がこれに満足せずより詳しい説明を求めたのにたいして、マハルシは次のように指摘しています。

『他人の中に悪を見ることは、その人自身の悪なのです。正しいことと悪いことを区別することが過ちのもとなのです。人それ自身の過ちは外部に反射され、各人は知らないうちにそれを他の人の上に重ね合わせます。
人にとって最善の方策は、そのような区別が生じてこない境地に到達することです……。
 さらに言えば、どんなに多くの忠告をあなたが与えようとも、相手は自分自身で誤りを
正すことはしないでしょう。あなた自身が正しくありなさい。そして沈黙を守っていなさい。あなたの沈黙はあなたの言葉や行為よりもいっそう効果があるでしょう。それは自制心を育みます。そうすれば世界は天の王国になるのです。それはあなたの内にあります』
 ラマナ・マハルシはこのような思想と教えを日常生活の中でも貫きました。
 あるときアーシュラムに泥棒が入りました。マハルシは欲しいものは何でも持っていくよ
うに言いましたが、彼らは金がどこにあるかを教えるように迫りました。マハルシが我々は施しで生活しているサードゥだから金はないと答えると、彼らは棍棒で殴りかかりました。信奉者が鉄棒をもって駆けつけ、マハルシにあなたは傷を負わされたのだから泥棒を追跡しましょうと勧めましたが、
マハルシは『泥棒は無知で目がくらんでいるのであり、我々はサードゥだからダルマ(徳)を
棄ててはならない』といって動じませんでした。


わたしたちは今、一人ひとりが『内なる平和』にとどまることによって、暴力(テロ)が暴力(戦争)によって根絶できないという見易い道理を明かにすることが出発点であり、同時に到達点なのです。


参考記事
日本ラマナ協会 柳田侃 前会長のプロフィールなど - ラマナ・マハルシの教え

※(因みに私は柳田さんとは一度も、お会いする機会は無かったのだが1997年にインドのアルナーチャラの柳田さんの別宅に一度訪問した事があり、当時管理人として滞在していた故 鈴木氏(シリウス・マハナンダ)の引率でアルナーチャラの山に登ったり、早朝3時頃から山の麓の周囲の道を裸足で巡礼(ギリ・プラダクシナ)一周約14 kmも約5時間かけて1回経験出来た)


※参考になる経験者の記事

南インド聖地巡礼の旅(2024年11月16日(土)) : 毎日がエドガー・ケイシー日和


参考文献


私が尊敬するインドや西洋の聖者たち - 中高年応援チャンネル 60歳 地球旅行 日記

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