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24時間オープンの無料食糧庫(四国・徳島市)2020/6/12記事

需要増で物資品薄、在庫枯渇の危機 フードバンクとくしまが食品の寄付呼び掛け
2022/8/27

需要増で物資品薄、在庫枯渇の危機 フードバンクとくしまが食品の寄付呼び掛け|社会|徳島ニュース|徳島新聞電子版
 寄付で集まった支援物資を生活困窮者に提供している「NPO法人フードバンクとくしま」(徳島市)の在庫が、枯渇の危機に陥っている。長引く新型コロナウイルス禍や物価高で支援を求める人が増える一方、寄せられる物資の量は減り、供給が追い付かなくなっている。フードバンクは、自宅に眠っている食品の寄付を呼び掛けている。


 フードバンクとくしまには年間で15団体程度、個人約100人から食品や日用品の寄付があり、自治体や社会福祉協議会などを通じて困窮者に提供している。在庫がなくなりかけたことはこれまでもあったが、その都度、追加の寄付を受けたり団体からの助成金などで購入したりして乗り越えてきた。


 コロナ禍が始まったおととし以降、生活に困窮する大学生やひとり親家庭などの需要が増加。今年春ごろからはケースワーカーや社協の担当者らが物資を取りに来る頻度も増え、保管庫の在庫が底を突きそうな状態が続くという。清田麻利子理事長は「支援を求める人からは『アルバイトがなくなった』『働く時間が短くなった』との声を聞く。コロナの影響が長引いている上に、値上げも生活に響いているのでは」とみている。


 コロナ感染拡大に伴うホテルの営業自粛や学校の休校が相次いでいたころは、土産品やイベントの景品、給食に使えなかった食品などの提供もあったが、経済活動が再開するとなくなった。寄せられた食品の総重量は2019年度93トン、20年度80・5トン、21年度52・8トンと年々減少している。


 清田理事長は「レトルト食品やインスタント麺、米はニーズが高い。余分があれば、食品ロスを減らすためにも提供してほしい」と話している。
 問い合わせはフードバンク、電話088(679)1919


2022/3/9
NPO法人フードバンクとくしまは4月から、ひとり親家庭に食品を無償で配る。これまで福祉団体を通じて困窮者に届けていたが、新型コロナウイルス感染拡大で生活に行き詰まった人から直接支援を求める声が相次ぎ、日時を決めて配布することにした。3月8~22日に希望者を募り、食品との引換券を郵送する。


 100世帯限定で4・6・8・10月と来年2月に、各月第3週の火、水、金曜の午後2~4時に徳島市昭和町3のフードバンク事務所で食品を配る。引換券は1世帯当たり5枚。月1回、米や野菜、災害備蓄食品などを入れた袋と交換する。内容は在庫状況に応じて変わる。


 県母子寡婦福祉連合会の電子メールに、世帯人数や支援が必要な理由を書いて申し込む。100世帯を超えた場合は抽選。


 フードバンクは転売やトラブルを防ぐために原則、登録した団体に食品を提供し、各団体が困窮者に配っていた。しかし2020年春以降は、コロナ禍で失職した人らから支援を求める相談が増えていた。


 今年に入りオミクロン株が急拡大すると、毎週数件の問い合わせが来るようになった。特にひとり親からの相談が多いという。支援に必要な食品や袋などの提供も求めている。


 清田麻利子理事長は「新型コロナ収束が見通せない状況だけに、少しでも生活をつなぐ助けになればと思う」と話している。


 申し込みは電子メール〈boshi-07@ace.ocn.ne.jp〉。問い合わせはフードバンク、電話088(679)1919。


2022/9/7

Otsucle(おつくる)
@otsucle
9月7日
徳島大学は、継続的に学生支援を進めています。多くの皆さまのご協力により実施した「フードバンク」の紹介です。
これまでの学生支援プロジェクト② - 皆さまの支援を徳島大学生へ届ける「たくす応援」プロジェクト



過去記事
2020/8月頃に終了
現在は終了しているみたいです。

森哲平
1979年生まれ。兵庫県伊丹市出身。信州大人文学部卒。
2011年、徳島市に移住。2016年から仲間と共に徳島市内で子ども食堂を開設している。
プログラミング教室経営。


森哲平
@moriteppei
伝える。
徳島 徳島市



2020年6月12日
日中はここに直接入ってきて、好きな食料をとっていってもらう仕組みにしようかと。夜間は外に「無人販売所」を置いてるからそこから。


単発で一時的に食料を受け取るだけならまだしも、何度も来られる方は、非常に、非常に心苦しくなるんですよね。「また来てしまってすみません......」と言いながら、でも、財布事情は前にもまして苦しいから食料をたくさん持っていく。


なので、今日は来てくれた人に思いっきり作業してもらいました。
作業してもらうことで「取りやすくなる」「こんだけ働いた」という気持ちになると思うし、こちらもめっちゃ助かるし。


それはあるんだけど、他方でもうちょいカジュアルに「食料もらうのとかフツーやん」的な感じを出したいのもある。



子ども食堂のときからいただいてたハートマネーや支援金。現在の残金が20数万円あるので、倉庫代はこちらから使わせてもらうつもりです。文句あるなら、ぼくが出すけど、文句はないだろ......。



補充しました。


フードバンクまでのアクセス
場所は、
徳島市沖浜町大木247 ナガヤプロジェクト3号室
ナガヤ図書館 おとなり3
の前の広場にあります。以下、道順です。
55号線、いわゆるバイパスを阿南小松島方面から県庁方面へと進んでください。左手にチャーリードラッグストアさんと、ケンタッキー・フライド・チキンさんが見えます。バイパスから、その2つの間の道に、左折して入ります。
ナガヤプロジェクトの敷地内の地図です。駐車場から、カフェ・雑貨nagaya.さんの裏に回っていただくとあります。
特に声をかけていただく必要はありません。もし、こうした食料を必要とされていたら、必要なときに、必要なだけ、24時間いつでもお持ちかえりください。(夜間はライトをつけています)



★フードバンクについて、ヨーロッパやオーストラリアなどは海外記事や
YouTube動画で知っていたが、子ども食堂とは違う、
フードバンクが日本でも既にたくさんある事を知って嬉しくなった。


★他にも


↑私の家の近所にも激安店がある。
賞味期限切れのスポーツドリンクなどを激安で売っている。
500mlの知らないブランドのスポーツドリンクが24本箱売りで、
賞味期限が数週間過ぎていたけれど、何と108円(税込み)で売っていた。
1本あたり、2円50銭(笑)もちろん買って飲んだ。2か月経過したが私は健康だ!(笑)




★1967年、アリゾナ州フェニックスのスープキッチンでボランティア活動をしていたジョン・ヴァン・ヘンゲンは、ボランティア先のシングルマザーから、まだ食べられる食品がスーパーで大量に廃棄されていることを知った。ヴァン・ヘンゲルはスーパーにこうした食品を寄附してもらうよう交渉するとともに、地元の教会に食品を備蓄する倉庫を貸してくれるよう頼んだ。こうして1967年、倉庫を提供した教会の名を採り、世界初のフードバンクである「セントメアリーズフードバンク」が誕生した。その後、農家から収穫したものの残った農作物の寄附を受け、1976年に「セカンドハーベスト」を設立。セカンドハーベストは後にフィーディングアメリカ(英語版)に名を変え、全米の約200のフードバンク団体を統轄する組織となっている。


そして早くも1980年代、フードバンクはアメリカ合衆国から世界へと広がり始める。そのうちヨーロッパ初のフードバンクが1984年にフランスにでき、1990年から2000年代前半に南アフリカ、アフリカ、そしてアジアで設立されていった。2007年には The Global FoodBanking Network が組織化された。
★日本でのフードバンク活動
元アメリカ海軍の軍人で、上智大学留学生のチャールズ・E・マクジルトンが2002年3月に日本初のフードバンク団体を設立[6]、同年7月に東京都から特定非営利活動法人(NPO法人)の認証を受けた。2004年からは団体名をセカンドハーベストジャパンと改めた。


これとは別に、2003年4月にはアメリカ人のブライアン・ローレンスにより関西地方を地盤とするフードバンク関西が発足。翌2004年1月には兵庫県より特定非営利活動法人(NPO法人)の認証を、2007年には国税庁より認定NPO法人の認証を受けている。いずれも当初はハインツ日本やコストコなど外資系企業からの寄附が中心だったが、ニチレイなど日本の企業からの寄附も始まり、「もったいない」の観点からも注目されつつある。2007年以降は沖縄県や広島県、愛知県、北海道でも動きが始まっている。なお、三省堂『CROWN English CommunicationⅠ』という高校の英語教科書にフードバンクやセカンドハーベストについて紹介されていた


2017年時点、北海道から沖縄県まで全国80カ所以上でフードバンク活動が行われている。


★初めて大阪のフードバンクを検索してみた。

1991年~1999年、私は東京や大阪の
キリスト教系、ヒンドゥー教系のボランティア団体にも通って、
ホームレスや日雇いの人達に
おにぎり、みそ汁、弁当などを配布する活動に30回ほど参加した。
そういう宗教系のボランティア活動で変わったものも手伝った。
1991年当時、日本の使用済みテレホンカードを海外のボランティア団体に郵送する
ボランティア。
海外では日本の綺麗な図柄入りカードを収集しているコレクターが多いらしく
使用済みでも売れるみたいだった。
日本中からキリスト教団体に寄付された使用済みテレホンカード数万枚を
綺麗で売れるものと、汚れて売れないものに選別する作業。
教会の敷地内の個室で若い男女のボランティア達が楽しい会話をしながらだったから
長時間の仕分けも、まったく苦痛ではなく、逆に楽しい時間だったが
別の国際交流系のボランティア団体で知り合った女子大生と恋愛関係になり、
キリスト教系のボランティア団体をフェードアウトした。
1年後に彼女と別れて、そのキリスト教系のボランティア団体に復帰できるほど、
図々しいメンタルは私には無かった(笑)
当時の知人に誘われて5回ほど参加したが、恋愛にのめり込みフェードアウト。
その知人と疎遠になったせいで、その楽しいボランティアに
復帰できなかった面もある(笑) そのボランティア団体の正式名も知らなかった(笑)
もう29年前なので、その教会の場所も思い出せない。東京か神奈川のどちらか(笑)
当時、イラン人の偽造テレホンカードのニュースが毎日のように流れていて、
寄付されたテレホンカードの中にも、たくさんあった(数十枚)
寄付する人は、街中の電話ボックスの中に捨てられている使用済みのカードを
溜めて送ってくるみたいで、そういう違法カードも関係なく送って来ていた。


ボランティアの女性たちと会話できる以外のメリットもあった。
売れない汚い使用済みテレホンカードの中に、まだ数十円~数百円分も話せる
テレホンカードがあり、売れないカードは通常廃棄するのだが、
ボランティアが使用した後に廃棄する事が認められていたので、
毎回、何枚か発見すると、発見した人が特権で貰えていた。
当時は固定電話の電話代が月に1万円を越えていたので助かった。


1991~1994年当時、東京の荒川区の安アパートで1人暮らししていた時期。
私(25~28歳)が通っていた社会人のサークル団体(1997年解散)
ここで知り合った人に誘われて、色んなボランティア団体(数十)に参加していたので
個々のボランティア団体の名称は覚えていない(笑)

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