中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

私の愛読書「死は終わりではない」①エリック・メドフス

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第一部 ぼくの死 (22ページから29ページ途中まで転載)


第一章 人生最後の日 こんなことになるとは、想像もしていなかった。


 以前にも自殺を考えたことはあった。 
 ほんとうのところ、いのちを絶とうと決断する二,三年まえから、ずっと考えていた。
 どうしたら死ねるのか、インターネットで調べたりもした。
 実際にいのちを絶つまえの年には、向精神薬を大量に飲んで自殺を図った。
 未遂に終わったけど、そのときぼくはきっと、短い時間だけど死んでいたんだと思う。
 なぜかって、自殺したデニスおばさんや、高校の卒業式直後に偶発的な銃の発砲がもとで亡くなった友人のアリーに出会ったからだ。二人は、ぼくの両側に座って手を握ってくれてた。彼女たちのおかげで、ぼくは安らかな気持ちになれた。そして、自分が別の世界、それまでいた場所よりマシな場所にいるみたいに感じた。すごく幸せな気分になって、またそこへ戻りたいと思ったくらいだ。


 その翌日、ぼくがパッパ (父のことだよ) と一緒に、彼のトラックの横に立っていたときのことだ。パッパはぼくに、どうして死にたいのかと尋ねた。
 その日、空は青く、美しく、何もかもが平和で、素晴らしく、幸福に見えた。
 ぼくはパッパに、もうこれ以上この世界にいたくなかったんだ、って言った。うまく説明できなかった。そんな理由じゃ、ぼくの気持ちも、なぜ死にたいのかも、パッパに伝わるわけがない。でも、それがぼくの精一杯の言葉だった。そして、最終的にぼくは思いをとげた。


 人生最期の日は、いつもと同じように始まった。
 そう、まるでジェットコースターに乗っているかのような一日。
ジョン・グリーンの小説に「上がりっぱなしのジェットコースターに乗ってる気分だ」って
いうセリフがあったよね? でも、ぼくのジェットコースターは下がりっぱなし。いや、もっと正確に言えば、上りは長くは続かず、下がりは永遠に続くみたいな感じだった。
 その日の朝、目が覚めたとき、「ああ、また一日が始まった」って思った。でも、いったん起き上がると、不思議な平安と静けさを感じた。ただし、ほんのいっときのことだ。たちまちいつもの心の闇が取ってかわり、ぼくは真っ逆さまに急降下していった。
「何日の何時に決行しよう」と決めてたわけじゃない。その朝、目が覚めたとき、「今日がその日だ」って思ったわけでもない。それよりも、周囲の状況とちょっとしためぐり合わせが重なって、決断するに至ったというほうが正しい。
 その日の朝、両親は、ぼくが彼らの持ち物を売ったお金で手に入れた猟銃に気づいてしまった。照準器のついた猟銃だ。ぼくはただ、気晴らしに、何かワクワクするような目新しいものがほしかっただけなんだ。でも両親はぼくに失望し、ぼくはぼくで、両親を失望させてばかりいる自分にうんざりした。
 誤解のないように言っておくけど、その猟銃は、ぼくのいのちを絶つのに使ったものじゃない。病気(双極性障害のことについては、あとで詳しく述べるよ)のせいで心に空いた穴を埋めようと、ぼくはずっと新しいおもちゃや新しい体験を求めていたんだ。猟銃はその一つにすぎない。
 拳銃を買ったのはそれより二,三ヵ月まえのことだ。友人のヴァレンティンと一緒に射撃訓練場へ行こうと思って手に入れた。それからは銃のことばかり考えていた。銃がここにある、自分の部屋に隠してある‥‥そう思うと安らかな気持ちになれた。
 両親を怒らせてしまった直後、ぼくは、その拳銃を使っていのちを絶とうと改めて決意した。薬を大量に飲んでも死にきれなかったけど、銃なら確実に死ねるだろう。
 母と二人の姉とテリーおばさんがランチに出かけることになったとき(結局、彼女たちは
その日ランチを食べることはなかったんだけれど)ぼくは居間のソファから立ち上がると、二階の自分の部屋へ向かった。
 ランチにぼくも誘われたけど、突然芽生えた決意を鈍らせたくなかった。だから行かないって答えた。さっさと苦しみを終わりにしたかったし、今度こそうまくいくと思った。心は決まった。闘いに降伏するみたいだけど、悪い気はしない。
 自分の部屋に入ると、ぼくはゆっくりと歩き始めた。歩いてると頭の回転がよくなるんだ。それで、しばらく考えごとをしながら、部屋の中を行ったりきたりして、そのあと机に向かって座った。
 テリーおばさんが客間から廊下を歩いてきて、ぼくの部屋の前で足を止めた。開いていたドアから頭をのぞせて、もう一度ランチに誘ってくれたけど、ぼくは、しばらく頭を冷やしたいんだって答えた。
 おばさんは立ち去るのをためらっていた。どうにか説得して、気持ちを変えられないかと思ったようだ。でも、ぼくのうつろなまさざしを見て、一人になりたがっているのを察したんだろう。そのあと、家政婦のマリアがベッドメイクをしに入ってきた。でもぼくは完全に無視した。マリアもぼくが一人になりたがっていると感じたらしく、急いでベッドメイクを済ませると、そそくさと出ていった。
 マリアが出ていったあと、ぼくは自分の服が気になりだした。服を着ていることがひどく不快だった。まるでもう一枚の皮膚のようで、脱ぎ捨てたかった。本物の皮膚も同じだ。なんで、まとわりつくんだ、こんなものいらない、って思った。
 マリアが出ていくと、朝起きたときに感じたのと同じ、不思議な安堵感がよみがえってきた。その安堵感はどんどん広がって、しまいには、めちゃくちゃ強烈なものになった。のみ込まれてしまいたいくらい、うっとりするような感覚。
 その安らかさに包まれながら、なぜかぼくの心はむなしさでいっぱいだった。こう書くと、矛盾していると思うよね。でも、そう感じたんだからしかたがない。机の前に座っていると、安らかな気持ちを踏みにじるように、これまでの人生に起きたクソ面白くもない出来事がつぎつぎと心に浮かんできた。
 ぼくの前ではいい顔をするやつらが陰で悪口を言っていたこと、ぼくがやつらを助けても、やつらはぼくの好意に報いてはくれないとわかったときのこと。思い出しては「クソっ」とか「卑怯者め」なんて考えていると、いっとき、むなしさでいっぱいになった。


 ぼくがこれからすることで、みんながどんな反応をするか、なんてことは考えなかった。それに、家族がどんなショックを受けるか、どんなに苦しむかなんて、考えたくなかった。ただ、求めている結果だけがほしかったんだ。つまり逃げ出すことだ。
 もし冷静にこういったことを考えていたら、良心がぼくに待ったをかけていただろう。
 必死でしがみついていた、あの不思議な安堵感から抜け出せたかもしれない。でも、あのときのぼくはそんなことを考えもしなかった。あのとき、あの静かな場所で、ぼくの頭に
浮かんできたのは、自分がどんなに両親を愛しているか、両親は両親で、どんなにぼくに尽くし、どんなにぼくを支えてくれたか、ってことだけだった。
「父さんと母さんが、ぼくをここまで追い詰めたんだ。両親が悪い」なんてちっとも思わなかった。だってこれは両親のせいじゃないんだ。それに「ぼくを助けるために何もしてくれなかった」とも思わなかった。実際、二人はどれだけ息子を助けようとしてくれたことか。ぼくには、誰かのせいにするつもりはこれっぽっちもなかった。


 もうそんな段階ではなかったんだ。


 母と姉たちとおばが出かけていく音が聞こえたとき、「さあ、いまだ。いまを逃すな」と思ったのを覚えている。弾はクローゼットに、銃はベッドの下の引き出しに隠してあった。
 もし銃に弾を込めた状態で親に見つかったら、両方とも取り上げられてしまう。だから、別々に隠していたんだ。ぼくは改めて銃に弾を込めると、机の前に座りなおした。そこからはまるで自動運転のようだった。
 ぼくの心はからっぽのままで、すでに体から離れてしまったかのようだった。
 きみにも覚えはないかい? 車を運転していたら、いつのまにか目的地に着いていて、どうやってそこまで来たのかを覚えていなかったこと。そのときのぼくはまさにそれだった。トランス状態に入っていたんだろう。
 不安を感じると、ぼくはいつもそわそわしていて、自分の脚で手汗を拭く。でも、そのときはそれさえしなかった。すごくリラックスしていて、手が汗ばむこともなかった。
 不安はゼロ。自分がやるべきことはわかっていた。それまでに何百回となく考えてきたんだ。あっという間に終わるだろう。頭に浮かぶことといえば、銃がすべての悪を吹き飛ばしていくイメージだけ。
 銃は、ぼくの家族を吹き飛ばしたりはしない。ぼくと関わりのある人たちを吹き飛ばしたりもしない。銃が吹き飛ばすのは、ぼくにはどうすることもできないものだけだ。アホかと思われそうだけど、自分のやろうとしていることが、死に結びつくという実感がなかった。いつもぼくを困らせるばかりで、味方になってくれない、この脳の横っちょをこいつで消し去ってやろう、くらいに思っていたんだ。
 死んだあと、どこへ行くのかってことも考えていなかった。ただ暗闇があるだけで、楽になれると確信していた。どうしてそう思ったかは説明できない。それに、神様が迎え入れてくれるとか、天使か何かの腕の中に抱きとめられるとか、思ってたわけでもない。
 かといって、死ねばすべて終わりで、自分という存在は消えてなくなる、とも思っていなかった。もし死後の世界があるなら、それは結構だし、なくたって、いまよりはマシだろう。どっちにしろ、悪くないんじゃないか、って思った。
 こうして振り返ってみると、自分の決断がまわりの人たちにどんな影響を及ぼすかを、もっと考えればよかったと思う。でもその瞬間、頭にあったのは、引き金を引きさえすれば、苦しみは消え去り、やっと解放される、という思いだけだったんだ。
 最後に頭に浮かんだのは、「OK」のひと言。さよならもなければ、何の思いも、疑問も、不安もなかった。ただ「OK」だけ。ここなら一発で死ねると定めた頭の一点に、ためらいなく銃身をぴったりと当てた。心は安らかだった。


そして、引き金を引いた。 


つづき↓
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