中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

Yahoo!知恵袋の私の回答55

マハラジさん
2022/6/7


私の場合、電車で席を譲る時の、お互いの微妙な会話が毎回ぎこちなくなる事が嫌だし、私自身の照れ笑いの強張った表情になってしまう事も嫌なので座らないようになりました。それが一番、気疲れしない正解だと悟った(もちろん電車内がガラガラの時は座る)


昔、電車で席を譲る時に、自分自身の中でダメ出しをしていた時があった。
席を譲るんだったら、初めから座るな、偽善者だ!
というように自分自身にダメ出しをしていた。


1と2
本能、無意識、自然体で無心で行なった行動は笑顔になる。
自分自身が他人や家族に無意識に、とっさに、瞬時に親切にできた場合は、自然な笑顔になっているし、自然に「ありがとう」と言葉が出る。
親切にしたり、してもらった時の両方とも。
しかし自分自身が直前に数秒間でも親切にした方が良いとか考えたり、どうやろうかと考えてから行動した場合には毎回、自分自身の顔が引きつり強張る場合が多いと感じる。



無心で生きていれば、自然体の親切が徐々にできて笑顔も板につくと感じる。
例えば私の場合、道端で足元に空き缶が落ちていたら約90%拾って自動販売機の横にあるリサイクルボックスに入れる。約5メートル離れている空き缶の場合は、拾ったり拾わなかったりケースバイケースその時の気分まかせ。空き缶を拾わずスルーした事でいちいち自己嫌悪になったりはしない。
私は常に自分自身が善人であり、偽善者でもあるという自覚を持ちながら生きている(笑)
うぬぼれないように自分自身を過大評価しないように、自分自身を追い込まないように生きている。
どんな時も親切にするという信念はなくて、無理はしない主義なのです。
そして他人に対しても過大な期待もしていないからニュースを見て世間を憂いたり、失望することもない。
自他のあるがままを判定せず受け留める。

思考実験です。ある朝、パンをくわえた転校生が、曲がり角で、隣の席になる同... - Yahoo!知恵袋
Q
隣の席になる同級生とぶつかりました。それを見たあなたは、時間を戻す能力を発動し、世界の時間を一日巻き戻しました。その場合、世界は同じことを繰り返すのでしょうか。もし繰り返すとすると、「自由意志」とか「個人の選択」は本当に存在するのでしょうか。
A
マハラジさん
2022/6/7
1日前に戻った私自身が、前日の行動とまったく同じ行動を再現すれば、ほとんど変化は起こらない。戻る前に目撃したパンをくわえた転校生とぶつかる運命の同級生の出来事を目撃する事もできるし、早めに行って、2人がぶつからないように、2人がぶつかるその地点に私自身が立つだけで、2人の衝突を回避できる選択もできる。


ぶつかるはずだった2人の運命を変えてしまった事で、
私自身が、その2人が恋愛関係や友達関係になる可能性を最低1回は、奪った事になるので、私自身の身に何が因縁めいた事象が発生するのかさえも、研究材料としたい。
そしてその2人がもし何があっても恋愛や友達関係になる運命ならば、そういう関係になるのかを尾行などして研究もするでしょう。


もしその2人の出会う運命が、2人の守護霊などが決定した計画であるならば、その計画を邪魔したとして、私自身の身の上に心霊現象などが起こりえるかもしれないので、それさえも研究対象にする。


もし2人の守護霊が存在したとして、彼らの計画を邪魔する私自身にも守護霊がいると想定する事も可能なので、私が1日前に戻る事さえ、その2人の守護霊と私の守護霊の方々の計画なのかもしれないと推測もしてみる。
★そうなると私自身の「自由意志」とか「個人の選択」がそもそも存在しない、もしくは限定的であるという可能性も発生する。


★要するに、私自身の1日前に戻れる能力を利用して、守護霊の存在を間接的に確かめる事ができる様々な実験を行ない、証拠集めさえできるのです。


★単なる金儲けや人助け以外にも、この能力は使えるのです。


★例えば、現在の私自身に過去に戻れる能力があり、ロシアとウクライナの戦争を未然に防ぐ為に、私自身が過去に戻って両国の戦争を止める事は可能なのか検証する研究もできる。トム・クルーズの映画オール・ユー・ニード・イズ・キルのように死んだら何度でも過去の同じ日に戻る能力で、何度も失敗や死を繰り返しながら、不可能なことさえも実現できる場合もある。


自由意志は実在するのか
ジュリアン・スコット著・長谷川涼子訳
https://www.acropolis.jp/articles/24


私は哲学で言うところの人間に自由意思があるのか、ないのかの議論はよく分からない。議論の内容自体が読んでいても難解で理解できない(笑)


有名なトロッコ問題の質問を初めて知った時に、私が一番初めに下した回答は
1★5人を助ける為にレバーを引いて1人を殺すでもなくて、
2★レバーを動かさず、後で責任追及されても反論できるから5人が死ぬ運命を見届けるでもなくて、
3★マークシートで、どちらかを選んで印をつけなければならない問題だとしても、私は2択から1つを選ばず、私自身が線路に寝て、トロッコに轢かれて天国へ帰ると回答用紙に書き込んで不正解を勝ち取るという選択です(笑)
そんな回答は論外、トロッコ問題の本質を理解していないと馬鹿にされたとしても良いのです!
私自身の哲学では、この2つの選択肢から必ず1つを選びなさいという問いであっても、選ばなくて良いという自分自身の自由意思が優先するのです!
私の場合、選択肢の中から選びなさいとう問題で、選択肢以外の回答をする事が多い。
★つまり常識やルールを根底から否定したい天邪鬼なのです(笑)★


「自由意思はある、自由意思は無い」この両方を満たした状態が正解だと個人的には確信している。それを言葉では上手く説明できないだけ(笑)


もちろん、選ばなければ100%殺すと凶悪犯から脅されたら選びますよ。
もちろんレバーは引かず、5人が死ぬ運命を尊重します。レバーに触ることやレバーがある場所に侵入することさえ法律違反ですが自分の命を助ける為でもあるので2つから1つを選択します。
もし、その5人や1人が身内ならば法律違反をしてでも身内を助ける選択肢を選ぶ可能性もあります。身内であっても助けない可能性もあります。その身内との関係性や年齢などで違ってくる。

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