中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

Yahoo! 知恵袋での私の回答 118

Q
ある小説の中で書かれていた50歳で自害した女性詩人とは誰の事ですか?
(質問を要約)
女性詩人に関する質問 - ある小説の中で、小説家が「寂しい、独りきりの傘の... - Yahoo!知恵袋 (閲覧数30件)12/2時点
備考(小説カテゴリの中の詩人に関心する質問に関心を持つ人は少ないと知れて良かった)
A
名前を特定されたくないからこそ、詳しい経歴を伏せている。
その小説家の意志を汲み取ってあげて、特定するのをやめるという選択肢もありますね…。
「ある小説」「小説家」←貴女自身も、その小説家と同じく深層心理で特定させたくない、知りたくないから濁しているのかも。つまり貴女自身が本当は知りたくないのです(笑)


回答する方は、手掛かりが少なすぎて困ります(笑)
貴女は濁している事で、その小説家を守っているのでしょうか?(笑)
貴女自身が、チグハグな行動を取っていますよ(笑)
本当に知りたいのでしたら、貴女自身が率先して
知っている情報を全て開示すべきです(笑)


過去、日本だけでも女性詩人は、約100~500万人も存在していたと推定しますから特定は不可能です。
詩集を出している人だけが詩人という訳ではありません。
私自身(男/56歳)、25歳(1991年)の時、
東京に住んでいた頃に1年間だけ、詩人の肩書で名刺(100枚)まで作った(笑)東急ハンズで。
名刺の表には色付きの花のイラスト(既成品)まで添えて差別化を図っていた(笑)
3種類の詩集、合計30冊ほど、1冊100円で手売りしていました(笑)
Google検索で「私の本名+詩人」や「本名+詩集の題名」を検索しても1件も情報が出て来ない(笑)
私自身、無名の最底辺の詩人だから分かるんです。詩人の多さが(笑)


作家やエッセイストなどは、だいたい詩を書く事からスタートするので、作家やエッセイストで売れてしまうと詩人という肩書を隠す人も居ると感じるので、作家やエッセイスト、作詞家なども含めて探しました。
その小説家が、故人を特定されないように
作家だけど、詩人だと嘘を書いた可能性も、0%以上あると感じる。
亡くなった時の年齢も特定を恐れ変えてる可能性も、0%以上ある。


作家という職業は隠したり暗号やアナグラムに変えて、
分かる人にだけ分かれば良いという、遊び心、子供心が
一般人よりも、たくさん残っている大人なのです(笑)


Google検索で調べてみた

海外・
自殺した有名人の一覧 - Wikipedia


詩人
矢川 澄子(やがわ すみこ、1930,7,27~2002,5,29(71歳)
征矢泰子(そや やすこ)1934,6,11~1992,11,28(58歳)
金子みすゞ(かねこ みすず)1903,4,11~1930,3,10(26歳)
長沢 延子(ながさわ のぶこ)1932,2,11~1949,6,1(17歳)
清水 澄子(しみず すみこ)1909,5,1~1925,1,7(15歳)
シルヴィア・プラス(Sylvia Plath1932,10,27~1963,2,11(30歳)米国
マリーナ・ツヴェターエワ 1892~1941(49歳) ロシア


高野悦子 (大学生) - Wikipedia(たかの えつこ、1949年1月2日~1969,6,24(20歳)
大学生。両親が遺された日記を出版『二十歳の原点』映画化1973年。
詩も書いていた。


高野悦子「二十歳の原点」案内


4年後、1973年映画化「二十歳の原点」
配信もDVD化もしていない。
本の朗読動画はYouTubeに有る


作家
平野洋子(ひらの ようこ)1962,11,16~2010,2,7(47歳)
森村 桂(もりむら かつら/本名:三宅)1940,1,3~2004,9,27(64歳)
鷺沢萠(さぎさわめぐむ/本名:松尾 めぐみ)1968,6,20~2004,4,11(35歳)
鈴木 いづみ(芸名:浅香 なおみ)1949,7,10~1986,2,17(36歳)
江夏 美好(えなつ みよし)1923,1,19~1982,7,17(58歳)
小林 美代子(こばやし みよこ)1917,3,19~1973,8,18(56歳)
久坂葉子(くさか ようこ/本名:川崎澄子)1931,3,27~1952,12,31(21歳)
アイリス・チャン(Iris Shun-Ru Chang1968~2004(36歳)中国系米国人
ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)1882~1941(59歳)英国
ルーシー・モード・モンゴメリ 1874~1942(67歳)[赤毛のアン]カナダ


エッセイスト(随筆家)
犬丸りん(本名:山崎 典子 やまざき のりこ)1958~2006,9,10(48歳)
開高道子(かいこう みちこ)1952,7,14~1994,6,22日(41歳)開高健の娘


俳人
飯島 晴子(いいじま はるこ、1921,1,9~2000,6,6(79歳)


ブロガー(メンタルヘルス系ネットアイドル)
南条あや(なんじょう あや/本名:鈴木純)1980,8,13~1999,3,30(18歳)


漫画家
ねこぢる(本名:橋口 千代美)1967,1,19~1998,5,10(31歳)
山田 花子(本名:高市由美)1967,6,10~1992,5,24(24歳)


歌人
江口 きち(えぐち きち)1913,11,23~1938,12,2(25歳)
三国 玲子(三國 玲子:みくに れいこ)1924,3,31~ 1987,8,5(63歳)


二階堂 奥歯(にかいどう おくば、1977~2003 (25歳) 本職:女性編集者
略歴
早稲田大学第一文学部哲学科卒業。大学時代は哲学研究会に所属。
卒業後、国書刊行会や毎日新聞社出版局で編集者として勤務。
2001年、編集者として働きながら、自身のウェブサイト上で読書記録を主とする日記を書き始める。
2003年4月26日、26歳の誕生日を目前にして投身自殺。亡くなる直前まで日記は更新されていた。
2006年、ポプラ社の斉藤尚美によって、『八本脚の蝶』として日記が書籍化される。斉藤は早稲田大学の同期であるが、生前は面識がなかった。
2016年、『八本脚の蝶』が本屋大賞「超発掘本!」を受賞。
二階堂奥歯 - Wikipedia


二階堂奥歯 八本脚の蝶 (日記)


追加回答
小池昌代 - Wikipedia
1959年7月17日~ 63歳・詩人・小説家
筑摩書房 感光生活 / 小池 昌代 著
『感光生活』(2004年6月 筑摩書房 / 2007年11月 ちくま文庫) 
小説集「感光生活」(2004)に収録されている、
15編の短編小説の中の一つ「石を愛でる人」一部を転載


そういえば、寂しい、独りきりの傘のなかを、華やかな世界と表現した女性の詩人がいたなあ。彼女もまた、雨の日と、傘が、好きだったのだろう。五十を過ぎて、彼女は突然自殺してしまった。顔に刻まれた深い皺が、とりわけ素敵な美しいひとだった。


小説の中身は基本作り話です(笑)
小説家でも実話を書く時は私小説や随筆やエッセイなどと前置きをする。
50歳を過ぎて自殺した女性詩人は存在しない(笑)
または小池さんの複数の知り合いを1人に集約して女性詩人にしたのでしょう。
ゲーテの「若きウェルテルの悩み」でもゲーテ自身の実体験と自殺した友人の話を組み合わせた半分実話。だから小池さんの話も部分的には実話だと感じる。


★以下は回答していない。
本のレヴュー動画



シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil, 1909年2月3日~1943年8月24日34歳)フランスの哲学者
父はユダヤ系の医師で、兄(1906~1998/92歳)は数学者のアンドレ・ヴェイユ - Wikipedia
 (ヴェイユ予想 - Wikipedia 兄の愛読書バガヴァッド・ギーター - Wikipedia
ヴェイユは第二次世界大戦中に英国アシュフォード(ケント)でほぼ無名のまま客死(享年34)
戦後、知人に託されていたノート(カイエ)を編集した箴言集『重力と恩寵』が出版され、ベストセラーとなった。
教師時代(22歳〜)
1931年9月、シモーヌはル・ピュイ女子高等中学校リセの哲学学級教授に任命される。彼女はル・ピュイで高等師範学校時代から始めていた組合活動を本格化させた。学校でのシモーヌ・ヴェイユも管理者にとって頭の痛い存在で、定められた教科計画に従わず、丸暗記ではなく与えられたテーマを自分の頭で理解することを重視した。地元の保守系新聞にスキャンダルとして報道された“ル・ピュイ事件”-失業者の陳情にシモーヌが同行したことを「過激な“赤い処女”によるデモの煽動」と地元保守新聞がスキャンダル化し、更にシモーヌが採石場の失業者と握手したこともスキャンダルとして騒ぎ立て攻撃し続けた“事件”により赴任一年目で転任を命ぜられた。
1932年6月休暇願いを受理されたシモーヌは前年にナチスが選挙で大躍進したドイツへ旅行し、強い衝撃を受けた。
ドイツから帰国したシモーヌは新しい赴任地オセールでも活発な組合活動を続け、今回は哲学クラスの閉鎖という形で追い出された。
★工場体験(25〜26歳)
1934年冬〜35年夏、休暇願いを出したシモーヌは、複数の工場で未熟工として断続的に8か月間働く。この経験は彼女の内面にいくつか変化をもたらした。疲弊したシモーヌは両親と共にポルトガルへ行き、ひとり立ち寄った夜の寒村で初めてキリスト教との"接触"を得た。
1935年9月、復職願を受理されてブールジュ女子高等中学へ赴任。
スペイン内戦(27歳〜)
同月下旬スペイン内戦勃発の報に接し8月初頭スペインへ渡る。新聞記者を装ってアナーキスト系CNT(労働国民連合)に接触、最下部組織としてフランコ軍と最前線で対峙していた外国人からなる義勇軍小部隊で参加を許された。部隊にいた知り合いのフランス人に小銃の訓練も受けたが、炊事当番に回された。爆撃を受けながら5日間行動を共にした後、炊事用に沸騰していた油に足をつっこんで大やけどを負い、義勇軍を離脱した。
★帰国(28歳〜)
★第二次世界大戦(30歳〜)
★ニューヨーク〜ロンドン(33歳〜)
★最期(34歳)
シモーヌ・ヴェイユの墓
1943年4月、下宿の床で昏倒しているシモーヌを友人が発見した。ロンドンの病院に運ばれた彼女は「急性肺結核」と診断されたが、身体的栄養不足によりその回復は妨げられた。彼女は生涯の全時期にわたり繰り返し拒食傾向を示していた。およそ4か月間、ロンドンの病院に入院したあと、8月にアシュフォードのサナトリウムに移った。その1週間後、
1943年8月24日の夜、シモーヌ・ヴェイユは静かに息を引きとった。
検死官による死亡診断書は「栄養失調と肺結核による心筋層の衰弱から生じた心臓衰弱。患者は精神錯乱をきたして食事を拒否、自ら生命を絶った。」と記された。後半部分が波紋を起こし、イギリスの新聞2紙が「食物を絶って死ぬ、フランス人一女教師の異常な犠牲行為」との見出しでこの無名な元教師の死を報じた。シモーヌ・ヴェイユの埋葬に立ち会ったのは7人で、その場に司祭はいなかった。
★生前に一冊の著作もない彼女を知っていたのは家族・知人・関係者だけであった。
★死後
ヴェイユが死んで4年後の1947年、彼女の思想を書き留めたノートを受け取っていた友人のギュスターブ・ティボンは生前シモーヌから託された十数冊の雑記帳(カイエ)を編纂し、『重力と恩寵』と題して出版した。無名の著者によるこの本は宗教・哲学分野としては異例のベストセラーとなりシモーヌ・ヴェイユ「発見」の先駆けとなった。


思想
美の必然性
ヴェイユは美を重視し、それは神や真理へ至るためのほとんど唯一の道であるとしている。したがって彼女の美に対する洞察はその思想の核心に近づいたものといえる。美を愛することは魂の自然な本性に備わっているから、だれでも美には惹きつけられる。もちろん、何を美しいと思い、愛するかには個人差がある。金を愛する守銭奴もいれば、権力を愛するものもいる。ヴェイユは享楽への愛を否定する。贅沢は高慢であり、己を高めようとすることである。彼女の言う美や愛とはそのような対象への支配と逆の、自己否定である。真に美しいものとはそれがそのままであってほしいものである。それに何かを付け加えたり減らしたいとは思わない完全性、それが「なぜ」そのようにあるのかという説明を要せず、それがそのままで目的としてあるもの。「美は常に約束するけれど、決して何ものをも与えようとはしない。」という彼女の言葉はそのことを表している。美は何かの手段とならず、それ自身しか与えない。


人は美に面したとき、それを眺め、それ自身の内なる必然性を愛する。そして必然性を愛するということは、対象への自己の支配力を否定することである。自己を拡張しようという欲求は対象を食べてみずからの内に取り込もうとするが、美は距離を置いて見つめる対象でしかない。それを変化させたり所有することは汚すことである。美の前で人は飢えながらも隔たりをもってそれを見つめ、そのままで存在してほしいと願う。
★シモーヌ・ヴェイユと言う哲学者は知らなかったけれど、二階堂奥歯さんの日記を読んでみて、この哲学者から影響を受けたのだとウィキペディアを読んだだけでも納得できた(笑)


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