中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

⑰第64章「ニサルガダッタ・マハラジとの対話」

「アイ・アム・ザット 私は在る ニサルガダッタ・マハラジとの対話」
第64章 何であれ満足させるものが、あなたを引き止める (319ページから325ページ転載)


質問者
私は公認会計士を引退し、妻は貧しい女性たちのための社会奉仕活動に従事しています。息子がアメリカへと旅立つため、見送りに来たのです。私たちはパンジャブ地方出身ですが、現在、デリーに暮らしています。私たちにはラダ・ソアミ教のグルがいます。そして、サットサン、聖者との交わりを高く評価しています。ここに連れて来られたことをたいへん幸運に感じています。今まで多くの聖者たちに出会ってきました。そして今、もうひとりに出会えることを嬉しく思っています。


マハラジ
あなたたちは多くの隠者や苦行者に出会ってきた。だが、神性を意識した完全に真我実現した人を見いだすことは困難なのだ。聖者やヨーギたちは計り知れない努力と犠牲によって多くの奇跡的な力を習得し、人びとを助け、信仰心を起こさせるといった善行を施すことができる。それでも、それが彼らを完全にすることはない。それは実在への道ではなく、単に偽物に豊かさを与えるだけなのだ。すべての努力はより多くの努力へと導く。何であれ構築されたものは、維持されなければならない。何であれ得たものは、衰退や喪失から保護されなければならない。何であれ失われるものは自己のものではないのだ。そしてあなた自身のものでないなら、いったいあなたにとって何の役にたつというのだろう? 私の世界では、何も強要されることはない。すべてはひとりでに起こるのだ。すべての存在は時間と空間のなかにあり、限定され、一時的なものなのだ。私は「何が存在するか」や「誰が存在するか」には関心がない。私の立場はその彼方に在る。私はその両方であり、そのどちらでもないところに在るのだ。
 多くの努力と苦行を終えてその野心を満たし、より高次の体験と行為を確保した人たちは、たいていの場合、彼らの地位を鋭敏に意識している。彼らは人びとを最低の未発達から最高の達成者までに分類し、階級のなかに類別してしまう。私にとっては皆が同等だ。現れや表現のなかの違いはそこにあっても、それは問題ではないのだ。金の装飾品の形が金そのものに影響を与えないように、人の本質も影響を受けることはない。この同等の感覚が欠乏しているならば、それはつまり、実在には触れられていなかったということだ。
 単なる知識では充分ではない。知る者が知られなければならないのだ。学者やヨーギは多くのことを知っているかもしれない。だが自己が知られていないとき、単なる知識が何になるというのだろうか? それは間違いなく誤用されてしまうだろう。知る者の知識なしには平和はありえないのだ。


質問者
人はどのようにして、知る人を知るのでしょうか?


マハラジ
私自身の体験から知っていることだけをあなたに話そう。私がグルに出会ったとき、彼は私に言ったのだ。
「あなたはあなたが自分自身だと見なしているものではない。あなたが何であるのかを見いだしなさい。『私は在る』という感覚を見守り、あなたの真我を見いだしなさい」と。私は彼に服従した。なぜなら彼を信頼したからだ。私は彼が言ったとおりにし、許すかぎりの時間を、沈黙のなかで自分自身を見つめることに費やした。そして、何という変化をもたらしたことか! それもこんなに早く! 三年という短い時間で、私は真我を実現したのだ。私がグルに会ったすぐ後、彼は死んでしまった。だが、それは何の違いももたらさなかった。私は彼が私に言ったことを、たゆまず覚えつづけていたのだ。その成果は、私とともにここにある。


質問者
それは何なのですか?


マハラジ
私は真の私自身を知っているのだ。私は身体でもマインドでもなく、知的能力でもない。私はそれらすべてを超えているのだ。


質問者
あなたはただの無なのでしょうか?


マハラジ
ばかなことを言ってはいけない。もちろん、もっとも実質的に、私は存在している。ただ、私はあなたが考えているような私ではないのだ。これがあなたにすべてを伝えるだろう。


質問者
それは何も私に伝えていません。


マハラジ
なぜなら、それは語ることのできないものだからだ。自分自身の体験をもたなければならないのだ。あなたは物質的、精神的なものを扱うことには慣れている。私はものではなく、あなたもまたものではない。私たちは物質でもなくエネルギーでもない。身体でもなくマインドでもない。ひとたびあなたが自己の存在の一瞥(いちべつ)を得るなら、私を理解するのは難しくないと知るだろう。
 私たちは聞き伝えでたくさんのことを信じてしまう。遠くの土地や人びとのこと、神や女神のことなどを、ただそう聞いたというだけで信じてしまうのだ。同じように、私たちは自分自身について、両親や名前、地位や義務などについて話を聞いてきた。一度もその真偽を確かめることなしに。真実への道は、虚偽の破壊を通っていくものだ。偽りを破壊するために、あなたはあなたのもっとも根深い確信を疑わなければならない。そのなかで、あなたが身体であるという確信が最悪のものなのだ。身体とともに世界が現れ、世界とともに、世界を創造したと考えられている神が現れる。このようにして、恐れ、宗教、礼拝、捧げ物、あらゆる類の体系がはじまるのだ。すべては自らが作り出した怪物に正気を失うほどおびえた幼稚な人間を保護し、支持するためのものだ。
【あなたは生まれることも、死ぬこともできないものだということを悟りなさい】そうすれば恐れは去り、すべての苦しみは終わるのだ。
 マインドが発明したものは、マインドが破壊する。だが、実在は発明されたものではなく、破壊することもできない。マインドの力が及ばないそれをつかまえなさい。私があなたに話していることは、過去のなかにも、未来のなかにもない。また、今起こっているような日々の生活のなかにもないのだ。それは永遠であり、その永遠性の全体はマインドを超えている。私のグルと、そして彼の言葉、「あなたは私自身だ」は、永遠に私とともにある。はじめのうちはそれらにマインドを固定させなければならなかったが、今ではそれも自然なものとなった。グルの言葉を真実として受け入れ、日々の生活の細部にわたって、自発的にそれによって生きるようになった。そのときが、真我の実現の戸口に立ったときなのだ。ある意味では、それは信頼による解放だ。だが、その信頼は強烈で、持続しなければならない。
 しかしながら、信頼そのものだけで充分だと考えてはならない。信頼が行為のなかで表現されることが実現への手段なのだ。それはあらゆる手段のなかで、もっとも効果のあるものだ。信頼を否定し、論証のみを信じる教師もいる。実際には、彼らが否定するのは信頼ではなく、妄信なのだ。信頼は妄信的なものではない。それは試みようとする意志なのだ。
  
質問者
すべての霊的修練のなかでもっとも効果的なのは、単なる観照の態度だと聞きました。それは信頼とどのように比較されるのでしょうか?


マハラジ
観照の態度もまた信頼なのだ。それは自分自身への信頼だ。あなたとはあなたが体験するものではないと信じ、すべてに距離をおいて見ることだ。観照に努力はいらない。あなたはあなたがただの観照者なのだと理解し、その理解が働いていく。それ以上何も必要ないのだ。ただ、あなたが観照者だということを覚えていなさい。もし観照の状態のなかで、「私は誰か?」と自分自身に尋ねれば、その答えは直ちにやってくる。ただ、それは言葉ではなく、沈黙のものだ。
 起こっているすべてのことの主体となり、客体であることをやめなさい。ひとたび内側に向きを変えたら、あなたは主体を超えたあなた自身を見いだすだろう。あなた自身を見いだしたとき、あなたは客体をも超えていることを見いだす。主体と客体はともにあなたのなかに存在するが、あなたはそのどちらでもないのだ。


質問者
あなたはマインド、マインドを超えた観照意識、そして気づきを超えた至高なるものについて語ります。それはつまり気づきさえも実在ではないという意味なのでしょうか?


マハラジ
あなたが実在ー非実在という言葉で論じるかぎりは、唯一実在でありうるのは気づきだけだ。だが、至高なるものはすべての区別を超えているため、それに「実在」という言葉は適用しない。なぜなら、そのなかではすべてが実在だからだ。それゆえ、そのように名づけられる必要もない。それは実在の源そのものだ。それは、何であれそれが触れたものに実在性を分け与えるのだ。


質問者
しかし、誰が世界を創造したのでしょうか?


マハラジ
宇宙のマインドがすべてを創造し、破壊する。至高なるものが何であれ存在のなかに現れたものに実体を与えるのだ。それを
【宇宙的な愛】と呼ぶことが、言葉によってはもっとも近いものと言えるだろう。それは愛のように、すべてを真実に、美しく、望むべきものにするのだ。


質問者
なぜ、望むべきものなのでしょうか?


マハラジ
いけないかね? 創造されたすべてを互いに反応しあうようにさせ、人びとを結びつける強力に引きあう力は、もし至高なるものからでなければ、どこからやってくるというのだろうか? 欲望を避けてはならない。ただそれが正しい経路を流れていることを見なさい。欲望なしには、あなたは死んだも同然だ。だが、低次の欲望とともにあるなら、あなたは亡霊と同じなのだ。


質問者
至高なるものにもっとも近い体験とはどのようなものでしょうか?


マハラジ
計り知れない平和とかぎりない愛だ。何であれ、宇宙のなかに真実で、高尚な、美しいものがあれば、それはすべてあなたから現れたのだと自覚しなさい。あなた自身がその源なのだ。世界を指揮する神や女神は、もっとも素晴らしい荘厳な存在かもしれない。それでも彼らは、彼らの主人の富と力を宣伝する、豪華に着飾った召使のようなものなのだ。


質問者
どのようにして人は至高なるものに到達するのでしょうか?


マハラジ
すべてのより低い欲望を放棄することによってだ。より低い欲望に満足するかぎり、最高のものを手にすることはできない。
【何であれ満足させるものが、あなたを引き止めるのだ】
すべてのものの不満足さ、はかなさ、限界を悟らないかぎり、そしてすべてのエネルギーを多大なる熱望に集めないかぎり、最初の一歩さえも踏めない。その反対に、至高なるものへの誠実な欲望は、それ自体至高なるものからの招きなのだ。身体的、精神的な何もあなたに自由を与えてはくれない。ひとたび束縛はあなたがつくり出しているということを理解し、あなたを拘束する鎖を鋳造することをやめれば、あなたは自由なのだ。


質問者
どのようにして、グルへの信頼を見いだせばいいのでしょうか?


マハラジ
グルを見いだし、また彼を信頼することはまれな幸運だ。それはそうそう起こることではない。


質問者
それは運命に定められているのでしょうか?


マハラジ
それを運命と呼ぶことでは何も説明されない。それが起こったとき、あなたにどうしてそれが起こったのかを言うことはできない。そして、それをカルマや恩寵、または神の意志と呼ぶことは、単にあなたの無知を覆い隠すだけだ。


質問者
クリシュナムルティは、グルは必要ないと言っています。


マハラジ
誰かが至高の実在と、それへの道について語らなければならないのだ。クリシュナムルティがしていることは、ほかの何ものでもない。ある意味では、彼は正しい。ほとんどのいわゆる弟子たちは、彼らのグルを信頼してはいないのだ。彼らはグルにそむき、グルを放棄してしまう。そのような弟子たちにとってはグルをもたないほうが、そして導きを得るために、ただ内側を見ることのほうがどれだけ良かったか知れないのだ。生きたグルを見いだすことは稀少な機会であり、大いなる責任でもある。これらのことを軽く扱ってはならないのだ。あなたたちは天国を買おうとやっきになって、値段の額を支払えばグルがそれを与えてくれると想像している。わずかばかりを捧げて、多くを要求する売買契約を求めているのだ。あなたが騙しているもは、ほかでもないあなた自身なのだ。


質問者
あなたはグルから、「あなたは至高なるものだ」と言われました。そして彼を信頼し、そのとおりに行動したのです。何があなたにこの信頼を与えたのでしょうか?


マハラジ
私はただ、道理を聞き分けただけだ。彼を疑うとしたら、愚かなことだっただろう。私を惑わせることで、いったい彼がどんな利益を得るというのだろうか?


質問者
あなたはある質問者に、私たちは同じであり、同等だと言われました。私にはそれが信じられません。私に信じられないのなら、あなたの表明が私にとって何の役に立つというのでしょうか?


マハラジ
あなたの不信は問題ではないのだ。私の言葉は真実であり、それはその仕事をする。これがサットサン、聖者との交わりの美しさなのだ。


質問者
ただあなたの近くに座っているだけで、それを霊的な修練だと考えることができるのでしょうか?


マハラジ
もちろんだ。生命の川は流れている。その水のいくらかはここにある。だが、たいへんな量の水がすでに目的地に到達しているのだ。あなたは現在しか見ていない。私は遥か彼方の過去と未来を、あなたが何であるか、そしてあなたが何になることができるのかを見ているのだ。私には、あなたを私自身としてしか見ることができない。
【違いを見ないこと、それが愛の本質なのだ】


質問者
どうすれば、あなたが私を見るように、私自身を見ることができるようになるのでしょう?


マハラジ
もしあなた自身を身体だと想像しなければ、それで充分だ。災いをもたらすのは「私は身体だ」という想念なのだ。それはあなたを真実の本性に対して、完全に盲目にしてしまう。ほんの一瞬でさえ、自分が身体だと考えてはならない。あなた自身にいかなる名前も形も与えてはならない。実在は闇と沈黙のなかで見いだされるのだ。


質問者
私が身体ではないという確信をもって考えなくてはならないのでしょうか? どこにそのような確信を見つけることができるのでしょうか?


マハラジ
あたかも完全に得心したかのようにふるまいなさい。そうすれば、確信はやってくるだろう。単なる言葉が何の役に立つというのだろう? マントラや精神的なパターンは助けにはならないだろう。しかし非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった行為があなたを実在の核心そのものに連れていくだろう。


質問者
確信なしに行為する勇気を、私はどこから得るというのでしょうか?


マハラジ
愛があなたに勇気を与えるだろう。あなたが誰か本当に称賛すべき、愛するに足る崇高な人に出会ったなら、あなたの愛と敬慕が、あなたに高尚にふるまおうという衝動を与えてくれるだろう。


質問者
称賛するべき人を称賛するということを、誰もが知っているわけではありません。ほとんどの人びとはまったく感受性に欠けているのです。


マハラジ
生命が彼らに真価を認めさせるようにするだろう。積まれてきた体験の重みが、彼らに見る目を与えるだろう。称賛に値する人に出会ったなら、あなたは彼を愛し、信頼し、彼の助言にしたがうことだろう。他の者たちが称賛し、愛するに足る完全な模範を示すこと、これが自己実現した人の役目だ。その人の人生と人格の美しさは、公益のための途方もない貢献なのだ。


質問者
私たちは成長のために苦しむべきではないでしょうか?


マハラジ
そこに苦しみがあり、世界は苦しんでいるということを知るだけで充分だ。快楽と苦痛自体が悟りをもたらすことはない。ただ理解だけがそれをもたらすのだ。ひとたびあなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだという真実を把握すれば、それを超えていこうとする衝動とエネルギーを見いだすだろう。快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。至福を通してだけでは、あなた自身を知ることはできない。あなたの本性そのものが至福だからだ。悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向きあわなければならないのだ。


★私の補足
マハラジが語っている「あなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだという真実」という会話中の一部分だけを抜き出してしまうと誤解を生んでしまう。
マハラジは相手の理解力によって違った言い方をする。話す相手によっては正反対の事を言ったりする。例えばマハラジは、ある人には神は存在しないと言うし、また別の相手には神は存在するとも言う。また別の相手には、マハラジ自身も会話している相手も神なのだと言うことさえある。つまり相手の理解力に沿った話し方、説明をするのである。


マハラジの教えを含むインド哲学を超簡単に説明すると、
【根源、源を仮にブラフマンだと名づけ、
そのブラフマンが宇宙に変化して創造、維持、破壊を永遠に繰り返しているだけ】
すべての物事が完成を目指し、ある種の完成の域に到達したら、衰退、破壊へと向かい、またスタートから始まる。
魂が3次元(宇宙)という物質世界に侵入、反映、投影、顕現した姿が生命であり、
人間の場合は、
【創造】自分自身が永遠の存在だという事を忘れるという初期段階からスタート
【維持】戦争ばかり繰り返しながら、様々な発明発見を繰り返し、全知全能の神である自分自身を徐々に思い出す(様々な欲が旺盛になる段階) 徐々に欲が減少する段階へと移行。
【破壊】完全に自分自身が表現不可能な存在、創造主だという事を思い出して原初の源に帰る段階。自分自身が全体でもある事に気づき、他人が存在しないという真実も理解するようになるので、徐々に発言、行動が減少していく。ただ、あるがまま、調和の中で生きる。
自然と周りの人達から達観している、悟っている、賢者、聖者、仙人などを言われるようにもなるが、自分自身では悟っているとは宣言しない。逆に悟っていると言われる事を否定する。
なぜならば、そういうレッテル、肩書、ラベルを貼りたがる、人と人を区別、差別、ランク付けをする事は悪い習性を強める事で害悪でしかない真実を知っているから。
区別をしない、ランク付けをしない事こそ、逆に悟りへの近道なのです。
悟りとは、すべてが同じだった、すべてが自分自身の反映、投影だったという究極の真実に気がつく、思い出すことなのです。
別の言い方をすると、完全・完璧が反映された世界が、この3次元なのです。
完全・完璧の中には、対極する物事すべてが含有、包括されているのです。
愛だけしかない世界では、愛が何なのかが理解できないので対極も必要不可欠なのです。


登場人物が全員、善人だけの映画を見せられたとしても、
私たちは感動もできないし、愛が何なのか理解できないのです。対極するものが必要なのです。
【生まれることもない、死ぬこともできない、永遠の存在である私たちが、退屈しない為に
自分自身に魔法を掛けて、制限、限界の多い3次元を創造して、全知全能の能力、記憶を一時的に使えなくして、この物理次元で遊んでいるだけなのです】
もちろん、遊んでいるとからと言って、何をしても良いんだと拡大解釈をして犯罪を犯してしまうと、その反作用が働いてしまい、刑務所に入れられたり、罪悪感で苦しむ可能性が高くなるので、気をつけて遊べば良いだけなのです(笑)
最終段階では、この生まれ変わりのゲームにさえ飽きて、私たちはこの3次元のゲームを開かなくなるのです(笑) 別の次元で行われているゲームに参加するようになるのです。
その別次元の乗り物UFOに乗って3次元の地球を懐かしむ為に時々、やってくるのです(笑)

ニサルガダッタ・マハラジ

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