中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

【ノンデュアリティ・非二元】 誤解に対するシェアー1「魂はある?」 大和田菜穂

【ノンデュアリティ】大和田菜穂(おおわだ なほ)
チャンネル登録者数 4110人
2022.5.17

【この動画を見て感じた私の感想】
大和田菜穂さんと、彼女の周りに集まる人達は独特の言葉、キーワードを使って意思の疎通を行なっているので、ノンデュアリティを理解している人でも初めは、彼女たちの会話を理解しずらいと感じる。
★しかしノンデュアリティがそもそも、文字、言葉では表現不可能だという事実を知っていると、彼女たちのモヤモヤとした会話も理解できるように、楽しめるようになる(笑)


★この動画の私の感想と補足?
★ノンデュアリティというモノも無いことも真実なのです(笑) 
ノンデュアリティとは、そういうものなのです(笑)
ノンデュアリティ(分離していない)=話し合うという事が起こらない分離の無い状態。
ある意味、説明を超えているので、ノンデュアリティは無いという表現も出来るのです。
★気づいてしまうと、今まで使っていた言葉が不完全、誤解を生みだすだけだと気づく。
★当たり前に分離していたはずの個人の感覚がなくなり、未知の感覚を体験する。
その未知の感覚に対して、初期の段階では既存の言葉を当て嵌めようと模索する。
集合意識?全体意識?絶対意識?
★私たちは常に在る存在なので、生まれた事も無いし、死ぬ事も無い存在なので、誰も生きていないという大和田さんの表現も可能なのです。言葉の一部分だけを抜き取られると誤解しか生まれない表現だけど(笑)
★そしてついに、その状態を、言葉に置き換えて説明する事をしてしまうと誤解を生むだけだと気づき、話す事、説明する事が無意味、野暮だと悟る。
言い換えれば、あるがままで完璧、完全だと気づき、自分が蛇足を付け加えようと思わなくなる。作為が徐々に減少して、最終的には捨てる段階に入る。誰が見ても自然体で生きていると呼ばれる存在、賢者、仙人のような存在に到達する。


【それを説明する事は不可能だが、それの周辺や、それのメリット、デメリットは説明できる。不完全な説明だが出来ると気づく。多少の弊害、誤解は発生するが悪影響は小さい】
★説明したがる段階(笑)今の私はまだ様々な欲が内包されている。浄化する為には、顕在化が必要。つまりブログに書いて、自分自身で意識して見て、冷静に客観視するという行為をすることで、その思考、観念に縛られた状態を手放す事が可能になる(笑)
右往左往している事が馬鹿らしくなったら、自然とその騒乱、煩悩、欲が昇華される(笑)
★俗に言うところの、思考の断捨離(笑)


X = 魂・命・意識・集合意識(こういう文字を当てはめると誤解を生むだけ)
△=全体意識、絶対意識、ハイヤーセルフ、神など(その文字が持つ固定観念に縛られる)
〇=それ
◎=不立文字(ふりゅうもんじ)言葉や文字に置き換える事が不可能なのです。
不立文字
悟りの道は、文字・言語によっては伝えられるものではないという意。
◎◎◎=【私達は言葉に置き換える事が不可能なものなのです】
究極に到達すると、私達という表現を捨て、私だけになり、
最終的には、私という表現も適切ではないと感じる段階に入り、説明することを止める。
【あるがままに生きて、態度だけで教えるようになる】


この動画内でもカルマが幻であるという説明もあるが、以下は私の補足。
★カルマ
その人が持つ能力、幻想力、創造力そのものがカルマ(法則・サイクル・循環)を作り出す。
カルマという概念、観念を信じている限り、そのカルマは顕在化して、法則化する。
★因果応報の法則が正確に平等に働かない理由は、因果応報を信じていない、または知らない人には、因果応報の法則は働かない。
言い方を変えると、自分の行為が正義だと確信している人、自分の国を守るための戦いで敵を殺した場合に罪悪感も悪いカルマの反応も跳ね返っては来ない。その人の確信の強い思いがそうさせているのであって、カルマの法則というのは信じている人にだけ働く性質のものなのです。
要するに、カルマの法則も幻想。あると信じたらあるし、無いと信じたら無いのです。


★例えばインドの叙事詩マハーバーラタの戦争(約5000年前)の場合、戦争を行なう時のルールが細かく規定されていて、卑怯な行為は禁止されていた。
★誇り高き戦士同士の神聖な戦いなのだから嘘の情報を流してはいけない。
しかしある時、ある戦闘において、参加した象に敵の将軍と同じ名前を付けて、その象が戦闘で死んだ時に、その象の名前をワザと大声で叫び、「〇〇が死んだ!」と皆で叫び、その将軍の息子や敵の兵士たちの戦意を喪失させて、その戦いを最終的に勝利に導いた。
ある意味、ルールを破らずに卑怯な戦法が多くなった。
叙事詩マハーバーラタの主役たちも、戦争で勝利したけれど、物語の最後で全員悲しい死の運命を辿る。神の化身クリシュナさえも、森で猟師に鹿と間違われて弓矢の矢で足の裏を射抜かれて淋しく1人で死を迎える。
 死は平等にやって来るという深いメッセージで物語は締めくくられている。


太古のインドの聖者が天啓で叙事詩マハーバーラタを授かり、弟子に口伝で引き継がせた。
この物語には、様々な教えが含まれている。
★言葉が持つ力の教訓
その言葉が嘘だとしても相手はその言葉を勝手に信じ込み、落ち込む事例を、叙事詩マハーバーラタを通して教え、言葉が人の心にどのように働くかを民衆に優しく教えた。



ベトナム戦争、アフガニスタン紛争、イラク戦争などで大量のアメリカ兵が帰国後に
PTSD(心的外傷後ストレス障害)なった。原因は単純。自分の国に攻めて来た敵から自分の国を守る為の戦いで敵を殺したのなら、正義の為に戦ったという自負心があり、人を殺した罪悪感もなく、逆に国を守ったという自信と誇りが持てる。
自分達よりも弱い国へ行って、そこの兵器も劣った軍隊相手に、一方的に攻撃しまくったら、いくら民主主義を守る為の戦いだと言っても、罪悪感が発生してしまうのが人間。
罪を犯したら罰を受けなければならないというキリスト教的な思考が働き、その罪悪感の負のエネルギーで自分自身で病気を発生させたり(不規則な生活のため)、投げやりな人生になり、不幸な出来事を招く。
東洋では因果応報、カルマの法則。

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