中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

新型コロナウイルスに対し普通のポジティブ思考で対処♬

★私が信じている【ノンデュアリティ思考】での
新型コロナウイルスのブログ記事は、
一応、書いているが公開できない(笑)
私は全肯定主義者だから(笑)
私は、宇宙で起こる全ての現象を受け入れる主義なので、
「あるがまま」
それに例外は無いのである。


だけど【ノンデュアリティ思考】を理解できる余裕が現在は世界的に無いので、
今必要な【ポジティブ思考】で書いてみた!(笑)


★止まない雨は無い!
辛い時期、人々は娯楽、芸術などに熱中し、ジッと耐えたと感じる。
★人生は【波】【坂】のように登ったり下がったりする時期が
必ず起こるんだと受け入れて、過度に恐れない。
無理やり、明るくしようと、焦らないことも重要。


★ポジティブな情報、記事を探して自分の周りの人たちに
教えたり、ネットやSNSで拡散することも良い。
私の場合、現在、明るい話題をブログに書いて拡散している。


★逆に、切なくなる歌やドラマ、映画を見て、泣くことで、
癒される事も科学的に癒し効果があると証明されている。
私が泣きたい時に聞く歌のリスト

心の琴線にふれる歌セットリスト


★ここ約100年の間で世界、日本が暗かった時期


1、第一次世界大戦(1914年7月28日~1918年11月11日)
死者行方不明両軍合わせて、1,767万人。wiki


2、スペインかぜ(H1N1型インフルエンザウイルス)wiki
1918年3月~1919年の秋まで。
世界全体の推定感染者数は約5億人とされる。当時の世界人口は18~20億人であると推定されているため、全人類の3割近くがスペインかぜに感染したことになる。日本では、約2,300万人が感染したとされる。


世界全体の推定死者数は1,700万人から1億人と幅がある。日本では、当時の人口5,500万人に対し少なくとも39万人が死亡し、アメリカでも50万人が死亡したとされる。これらの数値は感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間で死亡に至らしめた記録的なものである。


3、世界恐慌1929年~
アメリカのバブルが弾けて株価暴落、全世界的に波及し不況になる。


4、第二次世界大戦1939年9月1日~1945年9月2日
(太平洋戦争)1941/12/8~1945/9/2


連合国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連など)
死者
軍人1,700万人
民間人3,300万人


枢軸国(ドイツ、日本、イタリアなど)
死者
軍人800万人
民間人400万人
★両陣営合計の死者、約6,200万人★


5、終戦後の混乱期
1945年9月2日から1952年4月28日までの、第二次世界大戦で敗れた結果として
GHQに占領されていた時期(占領時代とも呼ばれた)を指す場合もある。
この時期には、700万人にも及ぶ在外日本人の引き揚げもあり、庶民は合法的に配給された食糧だけでは生活財に事欠き生活が困難であり、焼け跡には闇市が立ち並んだ。「ギブ・ミー・チョコレート」が流行語になり、「パンパン」と呼ばれる街娼が登場したのもこの時代でもある。


6、昭和天皇の崩御
昭和63年(1988)9月~1989年(昭和64年/平成元年)1月7日
昭和天皇が入院して崩御するまで、自粛ムードがあった。
当時テレビのニュース速報が毎日数回あって、
天皇陛下が下血したとか、約4ヶ月間、気持ちが滅入った。
崩御して、平成という年号が発表されると、日本国中の人々が
肩の荷を降ろせたような重圧感からの解放感があった。
喜びを表立って表現する人はいなかったが、
最高度の自粛ムード状態から解放されたんです。
その約4ヶ月間は今の新型コロナウイルスの自粛ムードの約10倍の
暗く重たい空気感が日本中を支配していた。
特に、芸能界やテレビ業界で、その間お笑い番組は続いていたとは
思うけれど、天皇関連のニュースばかりだった。
当時私は22歳だったけれど、64年間も続いていた昭和がリセットされ、
平成元年、平成1年という心機一転の良いムードを感じている反面、
日常生活で、当時まったく尊敬していなかった昭和天皇が亡くなった事による
精神的な支柱を失ったような、予想もしなかった喪失感、虚脱感が数か月続いた。
2008年に母が79歳で病死、2010年に父が83歳で病死した後も
同じ喪失感、虚脱感に襲われ、数年間うつろな気分で人生を素直に楽しめなかった。
ちょっと関係ない事かもしれないが
私はペットは飼った事はないが、ペットロスで苦しむ人の気持ちも初めて理解できた。
つまり、他人が死別、喪失感に苦しんでいる様子も、昔は他人事で
気にもしなかったが、自分が体験してみて、初めて死を深く考えられるようになった。


7、ドーハの悲劇

1993年10月28日にカタールの首都・ドーハのアルアリ・スタジアムで行われたサッカーの国際試合、日本代表対イラク代表戦の日本における通称。
★日本のスポーツ史上、史上最悪の精神的な崩壊をもたらした悲劇。
その後、次のサッカーのワールドカップまでの4年間、
メンタルが回復しなかった日本人が推定、2千万人はいたと個人的に推測する。

1993年 ドーハの悲劇 街の様子


8、阪神・淡路大震災(1995/1/17)約1年間は暗く重たいムードだった。
死者6,434人。


9、スマトラ島沖地震(2004年12月26日)死者は28万3千人以上
インドネシア(死亡者は13万1,029人、行方不明者は3万7,603人)
インド(1万2,407人が死亡。行方不明者は1万人以上)
スリランカ(3万5,322人が死亡,行方不明者は5,637人)
タイ王国(死者は5,305人)
周辺国の死者、数千人~数万人。
観光客の死者、1500人以上
日本人観光客の死者37人、行方不明7人。


10、東日本大震災(2011/3/11)約1年間は暗く重たいムードだった。
死者15,899人、行方不明2,529人。合計1万8,428人。


11、リーマン・ショック(2008年9月15日~)
アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生した。
日経平均株価も大暴落を起こし、
9月12日(金曜日)の終値は12,214円だったが、
10月28日には一時は6,000円台(6,994円)まで下落し、
1982年(昭和57年)10月以来、26年ぶりの安値を記録した。


12、新型コロナウイルス(2019/12月~)

全世界的に暗いムード
日経株価
2020/2/20(2万3,479円)
2020/3/19(1万6,552円)
2020/4/02(1万7,818円)
新型コロナウイルス(退院患者も含めた人数)
日本:感染者2,384人 死者57人
世界全体:感染者90万5580人・死者数は4万5719人(2020/4/2時点)


★何だかんだ言っても、体験はしていないけれど、
第二次世界大戦の時の6年間で、約6,200万人が亡くなった絶望的な暗さが、
全身複雑骨折だとしたら、
4/7現在、
ここ3か月間で約7万3139人が亡くなっている新型コロナウイルスの世界的な暗さは、
まだまだ、かすり傷。
つまり何が言いたいのかというと、
人類がこれまでに経験してきた大事件、大災害に比べると、
今回の新型コロナウイルスは、まだまだ小さい事件。
人類は乗り越えられる! 人類を信じてポジティブに生きよう♪


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