中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

③第55章「ニサルガダッタ・マハラジとの対話」

第55章 (275p~280p)
すべてをあきらめなさい、
そうすればすべてを得る


質問者
今この瞬間、あなたはどのような状態にいるのでしょうか?


マハラジ
無経験の状態だ。そのなかにすべての経験が含まれている。


質問者
あなたはほかの人のマインドやハートのなかに入って、体験を分かちあうことができるのでしょうか?


マハラジ
いいや。そのようなことには特別な訓練が必要なのだ。私は小麦を扱う商人のようなものだ。私はパンやケーキに関してはまったく知らない。麦粥の味さえ知らないかもしれない。だが、小麦という穀物に関してはすべて良く知っている。私はすべての体験の源を知っている。しかし、数知れない特定の形態が体験することがらを知ることは、私にはできないし、また知る必要もない。そのときどきにおいて、人生を生きて行くために知る必要のあることはほんのわずかであり、私はどうにか、かろうじて知っているだけだ。


質問者
あなたの特定の存在と私の特定の存在は、創造神であるブラフマーのマインドのなかに存在するのでしょうか?


マハラジ
普遍なるものは特定のものには気づいていない。個人としての存在は個人的なものだ。個人は時間と空間のなかに存在し、名前と形をもち、はじまりと終わりがある。普遍なるものはすべての個人を含んでいる。絶対なるものはすべての根底にありながら、すべてを超えているのだ。


質問者
私は全体性には関心がありません。私の個人的な意識とあなたの個人的な意識、その二つを結ぶものは何でしょうか?


マハラジ
二人の夢を見ている人に、どんなつながりがありうるだろうか?


質問者
彼らは互いを夢見合うかもしれません。


マハラジ
それこそ人びとがしていることだ。誰もが「他者」を想像し、その間につながりを探し求めている。探している人こそがつなぎ目なのだ。他者というものは存在しない。


質問者
多くの意識の点である私たちの間には、何が共通のものがあるに違いありません。


マハラジ
多くの点とはどこにあるのだろうか? あなたのマインドのなかだ。あなたはあなたの世界がマインドから独立していると主張している。どうしてそうありうるだろう? 他者のマインドを知りたいという欲望は、あなたがあなた自身のマインドを知らないためだ。まず、自分のマインドを知りなさい。そうすれば、他者のマインドという疑問は生じないだろう。なぜなら、「他者」など存在しないからだ。存在とは意識だ。「私は在る」はすべてにあてはまるのだ。


質問者
至高の実在(パラブラフマン)は、私たちすべてに内在しているかもしれません。しかし、それが私たちにとって何になるのでしょうか?


マハラジ
あなたはあたかも「私はものをしまう場所が必要だ。だが、空間が何の役に立つというのだろうか?」あるいは「私はミルクか紅茶、コーヒーかソーダが欲しい。だが、水は何の役にも立たない」と言っている人のようだ。至高の実在がすべてを可能にしているということが、あなたにはわからないだろうか? だが、もしそれが何の役に立つのかときくならば、「何の役にも立たない」と言わねばならない。日々の生活においては、実在を知る人には何の利点もないのだ。むしろ、彼は不利な状態にあると言えよう。欲望と恐れから自由な彼は、自分自身を守ろうとしないからだ。利益という概念自体が、彼にとっては異質なものなのだ。彼は増加や増大を嫌う。彼の人生とは、絶え間なく己から剥ぎ取り、分かちあい、与えることだ。


質問者
もし至高なるものを得ることに何の利点もないのならば、なぜそのために骨を折るのでしょうか?


マハラジ
あなたが何かにしがみつくときだけ、心配事は生まれる。何にもしがみつかなければ、何の心配もない。より劣ったものを放棄することは、より偉大なものを得ることなのだ。すべてをあきらめなさい。そうすれば、あなたはすべてを得るだろう。そのとき、人生はその目的通り、無尽蔵の源からの純粋な輝きのなかに、夢のようにぼんやりとかすんで現れるのだ。


質問者
もし私の世界が単なる夢であり、あなたはその一部であるとするならば、いったい私のために何ができると言うのでしょう? もし夢が真実ではなく、存在していないと言うのならば、実在はどのようにそれに影響を与えるのでしょうか?


マハラジ
それが続くかぎり、夢は一時的な存在をもっている。問題をつくり出すのは、あなたがそれにしがみついて離さないからだ。手放しなさい。夢があなたのものだと想像することをやめるのだ。


質問者
どうやら、あなたは夢を見る人なしに夢がありえ、私は私の勝手気ままな夢と同一化していると決めてかかっているようです。しかし、私は夢を見る人であり、また夢でもあるのです。誰が夢見ることをやめるというのでしょうか?


マハラジ
夢に最後までそれ自体を繰り広げさせるがいい。あなたにはどうすることもできない。だが、夢を夢として見、実在の痕跡として拒否することはできるのだ。


質問者
ここで、私はあなたの前に座っています。私は夢を見ていて、あなたは私が夢のなかで話しているのを見ています。私たちの間に何のつながりがあるのでしょうか?


マハラジ
あなたを目覚めさせようという私の目的がつながりなのだ。私のハートはあなたに目覚めてほしい。私はあなたが夢のなかで苦しんでいるのを見ている。そしてあなたが不幸の終焉へと目覚めなければならないことを知っているのだ。夢を夢として見るとき、あなたは目覚める。だが、私はあなたの夢自体には興味がない。私にとっては、あなたが目覚めなければならないと知ることだけで充分だ。夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要もない。あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。想像することをやめなさい。矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。そして、それらを超えていく必要性を見なさい。無限の空間のなかに微小な意識の原子が浮遊している。そして、宇宙はそのなかに包含されているのだ。


質問者
夢のなかには、真実で、永遠に続くように見える愛があります。それらもまた目覚めとともに消え去るのでしょうか?


マハラジ
夢のなかで、あなたは誰かを愛し、他の人は愛さない。目覚めとともに、あなたはあなた自身がすべてを包含する愛そのものだと知るのだ。個人的な愛は、いかに強烈で真正なものであっても、かならず束縛することになる。自由のなかでの愛は、すべての愛なのだ。


質問者
人びとは来ては去っていきます。人は出会う人を愛するのです。すべてを愛することはできません。


マハラジ
あなたが愛そのものであるとき、あなたは時間と数を超える。ひとりを愛することのなかで、あなたはすべてを愛し、すべてを愛することのなかで、あなたはひとりひとりを愛する。ひとりとすべては背反してはいないのだ。


質問者
あなたは時間を超えた状態にいると言われました。それはつまり、過去と未来があなたに対して開かれているということなのでしょうか? あなたはヴァーシシュタ・ムニ、ラーマのグルに出会いましたか?


マハラジ
その質問は時間のなかにあり、時間についてのものだ。またしても、あなたは夢の内容について尋ねている。永遠は時間という幻想を超えたものであり、時間の延長ではないのだ。自らをヴァーシシュタと名乗るその人がヴァーシシュタを知っているのだ。私はすべての名前と形を超えてる。ヴァーシシュタはあなたの夢のなかに現れた夢なのだ。どうして私に彼を知ることができるだろう? あなたは過去と未来に関心をもちすぎている。それらはみな、あなたの存在を継続させたい、自分自身を消滅から守りたいという切望から起こるのだ。あなたは継続することを求めるために、ほかの人たちに一緒にいてもらいたい。それゆえ彼らの存続に関心をもつのだ。しかし、あなたが呼ぶ存続とは、夢の存続にすぎない。それよりは死のほうが望ましい。そこには目覚めるチャンスがあるからだ。


質問
あなたは永遠に気づいています。それゆえ、存続には関心がないのでしょう。


マハラジ
それはその反対だ。すべての欲望から自由であることが永遠なのだ。すべての執着は恐れを暗示している。なぜなら、すべてのものごとは、はかない、つかの間のものだからだ。そして、恐れは人を奴隷にしてしまう。この執着からの自由は、修練によってもたらされるものではない。人が自己の真の存在を知ったとき、自然に執着から自由になるのだ。愛は執着しない。執着は愛ではないのだ。


質問者
では、無執着を得る方法はないのでしょうか?


マハラジ
そこに得るようなものは何もない。すべての想像を放棄して、真我を知りなさい。自己知識が無執着なのだ。すべての切望は不充分な感覚から生じる。何も不足してはいないと知ること、存在するものすべてはあなたであり、あなたのものなのだと知ることで欲望はやむのだ。


質問者
自己を知るために、私は気づきの訓練をしなければならないのでしょうか?


マハラジ
訓練しなければならないことは何もない。自己を知るために、あなた自身でありなさい。あなた自身で在るために、あなたがあれやこれだと想像することをやめなさい。ただ在りなさい。あなたの真の本性を現れさせるがいい。探求によってかき乱されてはならない。


質問者
もし私がただ待っているだけならば、真我の実現にたいへんな時間がかかってしまいます。


マハラジ
それが今ここにすでにあるとき、何を待つというのだろう? ただよく見て、見いだすだけなのだ。あなた自身を、あなたの自己の存在を見なさい。あなたはあなたが存在することを知っている。そして、あなたはそれを愛しているのだ。すべての想像を捨て去りなさい。それだけだ。時間に頼ってはならない。時間とは罠だ。待つ者は、死ぬ。生命は今だけに在る。私に過去や未来を語ってはならない。それらはあなたのマインドのなかにのみ存在するのだ。


質問者
あなたもまた死ぬでしょう。


マハラジ
私はすでに死んでいるのだ。私の場合、身体的な死は何の違いももたらさない。私は永遠の存在だ。私は欲望と恐れから自由なのだ。なぜなら、私は過去を思い出さず、未来を想像しないからだ。何の名前も形もないところに、どうして欲望や恐れが存在できるだろうか? 無欲とともに永遠がもたらされるのだ。私は安全だ。なぜなら、存在しないものが存在するものに触れることはできないからだ。あなたは安全ではない。なぜなら、あなたは危険を想像するからだ。もちろん、あなたの現在の身体は複雑で傷つきやすく、保護を必要としている。しかし、あなたがではない。ひとたび、あなたが難攻不落の存在であると自覚したならば、マインドは平和になるだろう。


質問者
世界が苦しんでいるときに、どうして無為が役に立つのでしょうか?


マハラジ
行為が必要なときには、行為が起こる。人は行為者ではないのだ。彼は起こっていることに気づいている。彼の存在そのものが行為なのだ。窓は壁の不在だ。そして、それが空気と光を与える。なぜなら、それが空だからだ。すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与えるのだ。もし本当にある人を助けたいと思うならば、近づかずにいることだ。感情的に助けることに専心しようとすれば、果たせずに終わってしまうだろう。あなたは非常に忙しく駆けまわり、自分の慈愛的な性質にとても満足するかもしれない。だが、たいした助けにはならないだろう。人が本当に助けられるのは、彼がもはや助けを必要としなくなったときなのだ。それ以外はすべて無用のものだ。


質問者
ただ座って助けが起こるのを待っているほど、充分な時間はないのです。人は何かをしなければなりません。


マハラジ
もちろんそうするがいい。しかし、あなたにできることはかぎられている。自己だけが無限なのだ。あなた自身をかぎりなく与えるがいい。それ以外のすべては、わずかな量でしか与えることはできない。あなただけが計り知れないのだ。助けることはあなたの本性だ。食べたり飲んだりするときにも、あなたは身体を助けているのだ。あなた自身のためには、何も必要ない。あなたは純粋な明け渡しだ。無始無窮であり、無尽蔵なのだ。あなたが悲しみや苦しみを見るときは、それとともに在りなさい。性急に行動に走ってはならない。学ぶことも行動も、本当の意味での助けにはならないのだ。悲しみとともにありなさい。そして、その根底にあるものを露わにしなさい。理解することを助けることが、本当の助けとなるのだ。


質問者
私の死は近づいています。


マハラジ
時間が足りないのはあなたの身体だ。あなたではない。時間と空間はマインドのなかにのみある。あなたは束縛されてはいないのだ。ただ、あなた自身を理解しなさい。そのこと自体が永遠なのだ。



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(シュリ・ラーマクリシュナ)

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