中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

非二元・ノンデュアリティ=不立文字

現代アドヴァイタの情報源 | resonanz360


最近、2年ぶりに最近の大和田さんの動画をたくさん見て、だいぶ分かりやすく感じた(笑)

1、探求ばかりする段階

2、理解が深まり、緩んでくる、弱まってくる、軽くなって来る段階

3、理由の無い居心地の悪さに気づく段階。探求者の苦しみ

4、あるがままの変化を受け入れる

5、私が‥私が‥、という説明しようとする傾向が徐々に消える、そういう欲望が消える


大和田菜穂|プロフィール|HMV&BOOKS online

おおわだ なほ
1975年、東京都杉並区生まれ。パリ在住。少女のころからとても繊細で、生きることへの不安や恐怖が、常につきまとっていた。ある日、ノンデュアリティ(非二元の現実)の教えに出合い、自分の欠乏感や不安感の原因を探し始める。何年もの探求のあと、2014年、苦しみが終わりを迎える。現在は日本とヨーロッパを中心に、喜びとともにノンデュアリティの世界を伝えている

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不立文字とは - コトバンク
不立文字 ふりゅうもんじ
禅宗の立場を表す語の一つで、禅の悟りの内容は文字やことばで伝えられるものでないことをいう。中国の翻訳仏教や学問仏教を批判し、実践仏教を主張した禅宗の特色を示す。教えを心から心に伝える意の教外別伝(きょうげべつでん)や以心伝心の語と連結して使用されることが多い。唐代の『都序(とじょ)』などでは達磨(だるま)のことばとする。「教外別伝、不立文字、直指人心(じきしにんしん)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」の四句は宋(そう)代の『祖庭事苑(そていじえん)』に最初に表れる。文字への執着を破って真実に入ることを説いた大乗経典の『大般若経(だいはんにゃきょう)』や『楞伽経(りょうがきょう)』などの「不説一字」の思想を承(う)けて、禅宗で強調する。


不立文字 - Wikipedia
(ふりゅうもんじ)は、禅宗の教義を表す言葉で、文字や言葉による教義の伝達のほかに、体験によって伝えるものこそ真髄であるという意味。
概要
「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」の語句の始めに当たり、「経典の言葉から離れて、ひたすら坐禅することによって釈尊の悟りを直接体験する」という意味となり、禅の根本を示すものとして知られる。


禅は定(じょう)とも呼び、インドで古くからある精神修行の方法で、それが仏教に取り入れられたものであるが、「不立文字」は、禅宗の開祖として知られるインドの
達磨(ボーディダルマ)の言葉として伝わっており、

「文字(で書かれたもの)は解釈いかんではどのようにも変わってしまうので、そこに真実の仏法はない。したがって、悟りのためにはあえて文字を立てない」という戒めである。唐代の中国の禅僧である慧能(えのう)は特にこれを強調し、

慧能を祖のひとつと考える南宗禅によって禅の真髄として重視された。 こんにちでも禅においては、中心経典を立てず、教外別伝を原則としている。
仏教の悟りにおいて重要な姿勢は、仏心を持って智慧を学ばなければ悟りに至らないという考え方。


慧能(えのう、638年2月27日(貞観12年2月8日) - 713年8月28日(先天2年8月3日))は、中国禅宗(南宗)の六祖。諡は大鑒真空普覚圓明禅師。范陽郡涿県(河北省保定市涿州市)の范陽盧氏の出身。


生涯
父の盧行瑫が嶺南の新州(広東省雲浮市新興県)に流されたので、その地で生まれ育つ。父が早くに亡くなり、薪を売って母親を養っていた。ある日、町で『金剛般若波羅蜜経』の読誦を聞いて出家を思い立ち、東山の五祖弘忍 - Wikipediaの下に参じたが、文字が読めないため、行者(あんじゃ)として寺の米つきに従事した。
その後、弘忍の法を受け継いで広州に帰り、兄弟子の印宗より具足戒を受けて正式な僧侶となり、曹渓宝林寺(広東省韶関市曲江区)に移って布教を続け、兄弟子の神秀より朝廷に推挙されるも病と称して断り、以後713年に亡くなるまで布教を続けた。


伝説
壁に書かれた詩について
慧能が弘忍の跡継ぎとして認められた時、次のような伝説がある。弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めようといい、当初、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書いたが、弘忍は認めず、それを聞いた慧能が神秀の詩を否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたので六祖となったという。
慧能が弘忍の命令で達磨から受け継がれた袈裟を持って大庾嶺まで逃げたところ、500人の僧が追ってきたが、法論して負けて逆に弟子になった者もいるという。


神秀の詩
身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し)
時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有らしむること莫れ)


慧能の詩
菩提本無樹 明鏡亦非臺(菩提本もと樹無く 明鏡亦また臺だいに非あらず)
本來無一物 何處惹塵埃(本来無一物むいちもつ 何いずれの處ところにか塵埃じんあいを惹ひかんと)
慧能の詩(多版本)
菩提本無樹 明鏡亦無臺(菩提に本から樹など無い 明鏡にもまた台など無い)
佛性常清淨 何處有塵埃(仏性は常に清浄だ 何処に塵埃が有るのか)
心是菩提樹 身為明鏡臺(心が菩提樹であり 身を明鏡台というのだ)
明鏡本清淨 何處染塵埃(明鏡は本から清浄だ 何処が塵埃に染まるというのか)


禅語の前後:本来無一物(ほんらい むいちもつ)|KazmaS|note



 神秀のさとりの心境である禅のこころをうたった詩を見た弘忍禅師の門下の僧は、だれもがそれをたたえました。ところが慧能は神秀の詩は真実をついているけれど、まだ十分であるといえないと、自分の心境を神秀の詩と同じ韻を用いて詩をつくり神秀の詩のそばに貼りました。


      菩提本無樹 (菩提本樹無し)
      明鏡亦非台 (明鏡も亦台に非ず)
      本来無一物 (本来無一物)
      何処惹塵埃 (いずれの処にか塵埃を惹かん)


 神秀は身は菩提と、心は明鏡というけれど、菩提もなければ煩悩もなく、本来無一物だ、だから塵や垢のつくこともない、それで払ったり拭ったりする必要もないではないかと、慧能はさとりの心境をこのように明らかにしました。


滴滴相承


 多くの修行僧は、この慧能の詩を見て、禅の奥義をいい現わしていると驚いて感動しました。ところが弘忍禅師は「まだだめである」といって消してしまわれたという、一同はこれで納得して騒ぎは静まりました。
 しかし、その夜に弘忍禅師は慧能に正法を伝授され、慧能は六祖となられたのです。一同が嫉妬するかもしれないから、弘忍禅師は夜ひそかに慧能を南方へ逃れさせました。

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