中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

⑦第87章「ニサルガダッタ・マハラジとの対話」

第87章 
マインドの沈黙を保ちなさい。
そうすれば発見できるだろう。(p467~471)


質問者 かつて、私は奇妙な体験をしました。私はなく、世
界もなく、内側も外側もただ光があるばかりでした。そして、
そこには計り知れない平和がありました。それは四日間続き、
それから私は日常の意識に戻ったのです。今、私が知ってい
ることはみな、建設中の建物を覆い隠す単なる足場だと感じ
ています。建築家、デザイン、計画、目的については何も知
りません。何かの活動は続いています。ものごとは起こって
います。これが私に言えるすべてです。私とは何か壊れやす
く、短命なその足場なのです。建物が完成したとき、足場は
壊され取り除かれます。「私は在る」と「私は何か」が重要
ではないのです。なぜなら、ひとたび建物が完成されれば、
「私」は当然のこととして、答えるべき何の質問も残さずに
消え去るからです。


マハラジ あなたはそのすべてに気づいていないのだろう
か? それは気づきが不変の要因だという事実ではないのだ
ろうか?


質問者 私の永遠性とアイデンティティの感覚は、はかなく、
頼りにならない記憶によるものです。つい最近のことでさえ、
ほんのわずかしか覚えていないのです! 私は一生という期
間を生きてきました。そして今、私に何が残されているとい
うのでしょう? ひと束の出来事、よくても短編の小説です。


マハラジ このすべてがあなたの意識の内側で起こることな
のだ。


質問者 内側で、そして外側で。日中は内側で、夜は外側で。
意識はすべてではありません。その領域を超えたところで、
とても多くのことが起こっているのです。私は意識していな
いものは存在しない、と言うことはまったくの誤りです。


マハラジ あなたのいうことは論理的には正しい。だが実際、
あなたは意識のなかにあることしか知らないのだ。意識的体
験の外側に存在するとあなたが主張するものは、推測された
ことだ。


質問者 推測されたものかもしれません。しかし、それは感
覚よりも真実です。


マハラジ 気をつけなさい。あなたは話しはじめると言語上
の宇宙をつくり出すのだ。言葉、概念、観念そして抽象の宇
宙を。相互に依存しあい、織り込まれ、もっとも素晴らしく
生成され、互いに支持しあい、説明しあってはいる。それに
もかかわらず、それには本質も実態もない、単なるマインド
の創造物なのだ。言葉は言葉をつくり出す。実在は沈黙して
いるのだ。


質問者 あなたが話すとき、私は聞いています。それは事実
なのではありませんか?


マハラジ あなたが聞いているということは事実だ。あなた
が聞くことはーーそれではない。事実は体験できる。その意
味においては、その言葉の音とそれが引き起こす精神的波紋
は体験される。それ以外の実体がその背後にあるわけではな
い。その意味は記憶されるための、純粋に慣習的なものだ。
言語は繰り返し実践されなければ簡単に忘れ去れられてしまう
ものだ。


質問者 もし言葉に何の実体もないなら、いったいなぜ、
私たちは話をするというのでしょうか?


マハラジ 言葉は個人間の相互伝達というかぎられた目的に
仕えている。言葉が事実を伝えるわけではない。それは信号
を送るのだ。ひとたびあなたが個人を超えれば、言葉は必要
ない。


質問者 何が私を個人の彼方へと連れていくのでしょうか?
どのようにして意識を超えるのでしょうか?


マハラジ 言葉や質問はマインドから起こり、あなたをそこ
にくいとめる。マインドを超えていくには、沈黙し、静かに
しなければならない。平和と沈黙。沈黙と平和。これが彼方
への近道なのだ。質問はやめなさい。


質問者 ひとたび質問をあきらめたら、私はどうすればいい
のでしょうか?


マハラジ ただ待ち、見守る以外何ができるだろうか?


質問者 何を待てばいいというのでしょうか?


マハラジ あなたの存在の中心が意識のなかに現れるのを待
つのだ。眠り、夢見、目覚めの三つの状態はすべての意識のな
かに現れる。時が来れば、あなたが無意識と呼ぶ状態も現れ
るだろう。意識全体を超えたところに非顕現がある。そして
すべてを超え、すべてに偏在する存在のハートは顕現ー非顕
現、顕現ー非顕現、と脈々と鼓動しているのだ。


質問者 言語レベルでは、すべて正しいように思われます。
私には私自身が存在の種子、意識のなかの点として、「私は
在る」とともに現れては消え、現れては消え、と脈打ってい
るのを思い浮かべることができます。しかし、それを事実と
して認識し、不変で無言の実在の彼方へ行くにはどうすれば
いいのでしょうか?


マハラジ あなたにできることは何もない。時間がもたらし
たものは、時間が奪い去っていくだろう。


質問者 それではなぜ、ヨーガの修練や実在の探求を奨励す
るのでしょうか? それらは私に力を与え責任をもたせるよ
うに感じさせながら、実際には、時間によってすべてが為さ
れるのです。


マハラジ 独立を実現することーーそれがヨーガの終焉な
のだ。起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとっ
て起こり、「私は在る」の源に起こるのではない。ひとたび
すべてはひとりでに起こると悟るならばーーそれを運命、神の
意志、あるいは単なる偶然と呼ぶがいいーーあなたはただ観
照者としてとどまる。理解し、楽しみ、しかし心乱されるこ
とのないままに。


質問者 もし私が完全に言葉を信頼することをやめるなら、
私はどのような状態になるのでしょうか?


マハラジ そこには信頼する時期と疑う時期があるのだ。な
ぜ心配するのか?


質問者 とにかく、私は私の周辺で起こることに責任がある
と感じるのです。


マハラジ あなたに責任があるのは、あなたに変えられるこ
とだけだ。あなたに変えられることとは、あなたの態度だけ
だ。そこにあなたの責任があるのだ。


質問者 あなたは私に、他者の悲しみに無関心でいるように
勧めるのですか!


マハラジ あなたが無関心でないということではない。人類
全体の苦しみはあなたがつぎの食事を楽しむことを妨げはし
ない。観照者は無関心ではない。彼は理解と慈悲に満ちてい
る。ただ観照者としてのみ、あなたはほかの人びとを助けら
れるのだ。


質問者 全人生において、私は言葉によって養われてきまし
た。私が聞き、読んできた言葉の数は何十億にのぼるでしょ
う。それは私のためになったのでしょうか? まったくそう
ではありません!


マハラジ マインドが言語を形づくり、言語がマインドを形
づくる。どちらも道具なのだ。それを使うがいい。だが、誤
用してはいけない。言葉はそれらの限界まであなたを連れて
いくことができる。それを超えるには、言葉は放棄されなけ
ればならない。沈黙の観照者としてのみとどまりなさい。


質問者 どうすればそれが私にできるでしょうか? 世界が
あまりにも私を邪魔するのです。


マハラジ それは、世界に影響されるのに充分なほど、あな
たが大きいと考えているからだ。そうではない。何ものもピ
ンで留めることができないほど、あなたは小さいのだ。捕ら
われてしまうのはあなたのマインドであって、あなたではな
い。次元と時間を超えた意識内の単なる点としての、あるが
ままのあなたを知りなさい。あなたは鉛筆の先の点のような
ものだ。あなたと接触するだけで、マインドは世界の絵を描
きだす。あなたは単一で単純だ。絵は複雑で大規模なものだ。
絵に惑わされてはならない。小さな点に気づきつづけなさい。
その点は絵のなかのどこにでもあるのだ。
 在るものが在ることをやめることはできる。ないものは存
在のなかに現れることができる。しかし、在ることもないこ
ともなく、存在と非存在がともに依存するそれは、否定する
ことのできないものだ。あなた自身を、欲望と恐れの原因で
あり、しかもその両方から自由であるものだと知りなさい。


質問者 どうして私が恐れの原因だというのでしょうか?


マハラジ すべてはあなたにかかっている。世界はあなたの
承認によって存在しているのだ。世界の実在性に対するあな
たの確信を取り消しなさい。そうすればそれは夢のように消
え去るだろう。時間は山でさえも崩し去る。時間を超えた時
間の源であるあなたなら、なおさらのことだ。なぜなら、記
憶と期待なしに時間はありえないからだ。


質問者 「私は在る」は究極のものなのでしょうか?


マハラジ あなたが「私は在る」と言う前に、それを言うあ
なたがいなければならない。存在が自意識である必要はない。
在るために知る必要はない。だが、知るためにはあなたが存
在しなければならないのだ。


質問者 私は言葉の海に溺れそうです。どのように言葉を組
み合わせるかにすべてがかかっていることが、私には理解で
きます。しかし、そこにはそれらを意味深くまとめる誰かが
いなければなりません。言葉をでたらめに集めるだけでは、
『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』『バーガヴァタ』はけっ
して生まれなかったでしょう。突然変異の論理は、ここでは
理にかないません。意味あるものの源は、それを超えたもの
でなければならないのです。混沌から秩序を創造する力は何
なのでしょうか? 生きることは存在すること以上のもので
す。そして意識は生きること以上のものです。誰が意識的に
生きる存在なのでしょうか?


マハラジ あなたの質問自体がその回答を孕んでいる。意識
的に生きる存在は意識的に生きる存在だ。言葉はもっとも適
切なものだ。だが、あなたはその完全な重要性を把握してい
ないのだ。存在すること、生きること、意識、それらの言葉
の意味のなかへ深く入っていきなさい。そうすればあなたは、
質問をしながら答えを取り逃がすという輪のなかを走りつ
づけることをやめるだろう。あなたにはあなた自身に関して
の正当な質問をすることはできないということを理解しなさ
い。なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。
「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。
そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」
と言い表すことができるのだ。
 あなたであるものを、あなたは見いださなければならない。
私にはあなたが何ではないかを言うことができるだけだ。あ
なたは世界に属するのではない。あなたは世界になかにいる
のでさえない。世界は存在しない。あなただけが在るのだ。
あなたは想像のかなで世界を夢のように創造している。あな
たがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身か
ら独立した外側の世界をもつこともできないのだ。独立して
いるのは、世界ではなくあなただ。あなた自身が創造した世
界を恐れてはならない。幸福と実在を夢のなかで探そうとす
るのはやめなさい。そうすればあなたは目覚めるだろう。す
べての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。質問には
終わりがないのだ。すべての欲望を放棄しなさい。マインド
の沈黙を保ちなさい。そうすればあなたは発見するだろう。

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