中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

YouTuberを始めるにあたっての戦略1

【背水の陣】を敷く。
中国の故事にある戦法。
川や海を背にして、陣地を張り(作り)、兵に対して
逃げ道、退路は無いと【覚悟】をさせる。
勝って祖国に帰るしかない、勝利して、その土地で生きるんだ!
という絶体絶命の窮地に立たされた時、
命を賭けるしか選択肢が無い時にこそ、
人間の火事場の底力が覚醒、目覚める。
自分自身を封印している、リミッターが外れる。


【船を焼く】転載
自ら退路を断ち、決死の覚悟で勝負することのたとえ
ジュリアス・シーザーが敵国に侵入する時、退却用の船をすべて焼き、
部下に勝利か死かを覚悟させたという故事から。


 
24歳の頃、バックパックに寝袋と1人用のテントなどを詰め込んで
鹿児島から福岡まで10日間かけて歩いた時、最短距離にこだわって
山道や道のない山の斜面を登ったり無謀な旅をした。


幸い尻尾を振って近寄る野良犬とかしか遭遇しなかった。
私自身の顔が髭だらけだったので、
ある意味、周りを威嚇しながらの旅だったから
怖い経験をしなかったのだと思う。


インドで同じ格好で歩いてた時、
大型トラックの運転手が乗せてあげると言われて、
一瞬で、優しい人だと予想し、賭けて
バス停までの約10分間、乗せて貰ったけれど、 
たまたま運が良かっただけなのかも知れない。


日本語が上手なインド人に
睡眠薬入りコーヒーを貰い寝てしまい、
バックパックを盗まれた若い日本人男性と出会ったり、
そういうリアルな失敗談をたくさん聞いた。
行方不明になった日本人男性の顔写真入りのチラシが
ゲストハウスの壁に貼り付けられているのを見た時は、
事件に巻き込まれた可能性が高いと感じた。


たまにパスポートを捨て、出家して
遊行僧(サドゥー)になっているような西洋人も見かけたので、
日本人の中にも、家族や国籍を捨てる人がいても
おかしくないという魔力がインドにはある。


5回、インドへ行って修行場に宿泊したけれど、
仏陀のように、遊行僧になろうという決心は、できなかった。
修行場に来ている、日本人女性たちと
お喋りばかりして、私の修行は、まったく実を結ばなかった(笑)
1時間ほどベンチに座り、2人きりで、お喋りしていたので
インド人の男性スタッフから注意された事もあった。
基本、部屋以外での男女のお喋りは自粛することがルールだと
知ってはいたが、注意されて初めて、なぜ禁止されているのか理解できた。
修行場といえど、世界中の色んな国籍の若者たちがやって来る場所では
必然的に開放的、オープン・マインドになりやすく、友情が簡単に芽生える。
良い面ではあるが、自分自身に甘くなりやすいという弊害の方が大きいと、
身をもって経験した。


わざわざインドまで大金をかけて行ったはずなのに
体重、欲望、煩悩がさらに増幅してしまった(笑)
  
★派遣社員などで金が貯まると、日本各地や海外ばかり行って
自由を謳歌していた時代【1987(S62・21歳)~1999(H11・33歳)】は、
前にも少し書いた同僚の自殺(2000)で終焉した。
奇跡は、少しの勇気さえあれば起こせるのかも… - 53歳 無職 YouTuber 挑戦日記


私は、とても働ける精神状態ではなく、同僚の自殺を知った当日に退職した。
そして引きこもった。派遣社員だったけれど、
半年弱だったので、失業給付金を貰える条件を満たしていなかった。
その後、約5年間、1日の短期バイトさえしなかった。
昔は3つのバイトを掛け持ちするぐらい時間を金に換えていたのに…。


2000年の夏から、実家で家事手伝いをする事が私の生活の中心になった。
退職し暇だった両親が昼に2人でドライブに行く時の
お弁当2人分を私が朝、作ったり、家政婦のような事をしていた。
たまに私が母を車イスに乗せて、公園や近くの漁港へ
散歩したりする介護ホームヘルパーみたいなこともした。
母が亡くなるまでの数か月間は寝たきりだったので、
点滴用の袋のようなものとチューブを繋いで尿を貯めていたので、
尿が溜まったらトイレで流してたりした。
オムツ交換は父や三女がしていた。
私自身は約9年後の2017年に11歳年上の腰に持病がある次女の
オムツ交換を1回だけ経験したことがある。
経験してから、自分自身の老後を真剣に考えるようになった(笑)


★話がYouTubeから、だいぶ逸れていますが無関係ではないのです(笑)
本筋に戻すと、家事手伝い、両親の介護、
本や携帯でYouTubeなどを見て、自分自身の心のリハビリをしつつ、
バイトも少しづつ経験して、両親の葬式が済んで、虚無感に襲われ、
その【どん底】を乗り越える為に、
初めて2011年(44歳)の1月にパソコンを買って、パソコン教室に通ったりした。
たまにバイトはできても、人と会話する事に恐怖を感じていた。
それぐらい、同僚の自殺は尾を引いていた。
だから単発のイベントに参加したりして、他人と会話する経験を積んで、
昔の社交的な性格を取り戻すため、リハビリに時間と金を投じた。


★築42年の両親が残してくれた一軒家に住んでいるから家賃はいらない。
★独身の三女と同居していて、姉が光熱費などを払っている。
★私は週に2,3回、次女夫婦のアパートに行って、食事を作ったり、
掃除や食事、洗濯など。月に1,2回、車イスの姉を病院に連れて行ったり、
一緒に買い物や図書館に行って本を借りたり、などなど。
その他に、近くに住んでいる五女のクルマを洗車、掃除したり、少し
タオル類の梱包の内職を手伝ってあげたり。
姉たちの友人、知人の知り合いの引っ越しを手伝ったりなど、
何でも屋のようなことをして、月に数万円を稼いでいる。
派遣社員時代は工場で昼夜二交代で手取り30万円前後、貰っていたけれど、
今は、まったく金が欲しいという意識が盛り上がらない。
しかし、5人の姉たちも、いずれ天国へ行くので、
私自身の老後を真剣に考える事が多くなった。
その時、孤独死、餓死するのも、ある意味、無欲なので
カッコイイ死に方の美学だとも思うが、
それだと弟や、たくさんの姪や甥たちに迷惑が掛かる。


せめて老後は親族に迷惑を掛けないように、
スイスの安楽死施設で安楽死できるぐらいの貯金や語学力が欲しいという
目標、夢ができたのです!(笑)


まあ、末期ガンになるというハードル、条件が達成できなかった時は、
どこかの山奥に行って穴を掘って、即身成仏という夢もあるので、
それはそれで、楽しみでもある♪
私 の 終活 ♪ 忘備録 (情報は随時追加) - 53歳 無職 YouTuber 挑戦日記



とにかく、まだ53歳なので、後30年間以上も余生が残っている可能性もある!


★つまり、まだ30年間以上も、地球旅行ができるので、
その期間を楽しくするための資金を、楽しく貯めるために、
【YouTuber】という職業が新しく誕生したので、
これは神様からのプレゼントだと思ったので、挑戦したい、受け取りたいと思った。


今、動画10本=10分動画の10本分(100分=1時間40分)の台本を練っていて、
その物語(脚本)を客観的に見て、面白いかどうかを精査している。
中学生の時から難しい名作洋画(ドクトル・ジバゴ、惑星ソラリスなど)を見て来たので、
自分自身の脚本にダメ出しをして、なかなか完成しない。
まだまだ細部が甘くて、全体の3割ぐらいしか完成していない。
だから撮影に入れていない。
20代の時、短編小説3本が新人賞の一次選考も通過できなかった理由は、
単純に面白くなかったからだと、50代になってハッキリと理解できた!
客観的に読むと自分でも分かる。
ストーリーが平凡で、文章も人を引き付ける要素が皆無だった。
当時の私は、一次選考ぐらいは通過して、
自分の名前が「小説現代」や「小説すばる」に掲載されると信じて疑わなかったが、
一次選考さえ通過しない、超駄作だとの審判が下され小説家を諦めた。


その失敗、敗北があるからこそ、客観的に面白いと思えるまで
推敲している。


こんなブログを書く暇があるなら、脚本に集中した方が良いと
客観的にも思うのだが、
足らないのは、面白さだけではなく、他にも、
勇気が、まだまだ決定的に足りないと感じる。


勇気を鼓舞するために、ブログを書いているんだと思う(笑) 


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