中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

ムージ「永遠に自由」ある悟った女性( Chaia )の手紙

★日本語字幕付き
Free for ever and ever - Mooji 日本語


★ユーチューブ以外の別の分かりやすい日本語 字幕つき動画が見たい人は

百万疋のねずみ | 永遠に自由
動画の日本語字幕を下記に転載↓ 


Dear Mooji,
finally the storm is over.
親愛なるムージ
嵐はついに終わりました。
  
No noise,No fear.
No 'I'.
Grace is here.I'm free for ever and ever'.
喧噪も、恐れも、「私」もありません。
グレース(神の恩寵)により、永遠に自由です。


★ムージが手紙の主に前に出て来るように手招きをする。
「チャヤ? ジャヤ? いらっしゃい。一緒にチャイを飲もう」


'I have been looking for my Heart.
How can you be looking for your own heart?'
私はずっとハートを探していました。
どうやって自分のハートを探すのかしら!


★30~40歳ぐらいの外国人女性がムージの前のイスに笑顔で座る。


’It is always alive inside me.Completely empty.
the wind blows right through me.
Abiding,sinking deeper and deeper,into a bottomless ocean of bliss.'
それは常に内にあって生き生きとして、空っぽなもの。
風さえ私を通り抜ける。
そこから、底知れぬ至福の海へと降りてゆく。


★ムージが途中、感想を挟む。
【Who writes like this?
Who says things like this?
(誰がこんな風に書けるのだろう?)】


'The secrets of the universe,are being revealed in me.
Free at last.Free for ever and ever.'
宇宙の神秘はいま私に開かれる。
遂に自由を得た!永遠の自由を!


★ムージが途中、感想を挟み、手紙を再読しながら解説する。
【Who writes a letter like this?
そこから出てこなければ、こんな風には書けないよ。
それそのものにしか書けない。
個人性には、こんな風には書けない。
たとえそれらしく書けても、この香りは出せないよ。
「遂に嵐は去り、雑音も恐れも私もない」
「グレースにあって、永遠に自由」
恐れの片鱗すらないね。
「ずっと自分のハートを探してきたけど、一体どうやって探すというのか」
これが、明白であるということを認識するということだね。
「それは常に私の内にあり、全くの空で、風も吹き抜ける」
風は、時でありマインド、私を通り抜けるんだね。
止めたり、留めたり、議論することもない。
すべて通り過ぎてしまう。これが透明性だよ。
「留まって、底なしの至福の海に降りていく」
こんな風に書けるなんて、僕には無理だな。
「宇宙の神秘が開かれる」
これは、知識が自然に生じること。
書物から知識を記憶する学習じゃない。
自己の存在から自然と湧き上がる閃きのことだね。
それによって知るんだ。
そしてその知識にすら拘らない。
気付きや明晰性さをもたらす。そのために与えられた知識だから。
拘ることもない。
風が吹くように、気付きや明晰さの波が吹いて行くだけ。
私はただ、無限の至福の海に深く降りて行くだけ。
「遂に、永遠の自由だ」
今日は自由だ、ではなく、紛れもなく、永遠に自由、というんだ。
「これ」だけがそう言える。
マインドは、そこまで自信は持てないよ。
「私は永遠に自由」だと言わせたものは、決してその言葉を撤回しない。
それは、意識とマインドにそう語りかけているんだ。
マインドに対し、「ここにおいで」と招いている。
きみは生まれ故郷を探し回っている。
「私がその生まれ故郷です」
「ここに来て永遠の自由を得なさい」
そう言っているんだ。
この無限の愛は、決してあなたを見捨てない。
でもあなたは、自分を見捨てる。
時間に縋(すが)り、移ろうものに縋り、持続しないものに縋るから。
そうやって遊んでいるのだから、それでいいんだけど。
声はそこからやってくる。
意識を通して語りかけてくる。
すべてを通して、多様に自身を現わしもする。
「あちこち見ないで、こっちを向いて」と、
そこから呼んでいる。
見つけたら、悲しみも、痛みも、混乱も終わるんだよと。
彼女の発見は、あなたが見つけるためのチャンスだ。】


and,'With endless gratitude and love.'
無限の感謝と愛を込めて。


★ムージが手紙の総括をする。
いつも感謝が湧いてくるから。
でも感謝って、二極が必要じゃないのと思うかな?
その通りで、二極性があるからこそ、自己が自己にありがとうが言える、
感謝の体験ができるんだ。


★女性( Chaia )がムージに語りかける。
本当は、この手紙すら、要らなかったのです。
誰もが覚醒できることを伝えたかっただけです。
一年前に、YouTubeで
あなたがこう言うのを見ました。
「覚醒はまったく実現可能だ」
私の寝室にあなたの写真があって、
見るたびにこの言葉が響くのです。
「覚醒は完(まった)くもって実現可能だ」


★ムージ
僕は何度もそれを伝えてきたんだ。
このメッセージをシェアする、
僕はそのために生きている。
すでにここにあるものは、完全に手が届くものなんだ。
あなたという存在の真実を見つければ
苦しみや恐れ、
死から自由になれる。
でもこれは、知性による確信では不十分なんだ。
レストランに行ってメニューを食べる訳にはいかないね。
メニューを見るのは楽しいけど、満足感や味わいは得られないよ。
自分のハートで見つけるしかないんだ。
そして見つけたら、
教わるまでもなく十分わかってる。
彼女は YouTube を観て、「全く実現可能」が心に残った。
今、可能どころか、認識され、実現している。
これが、サットサンということなんだ。
何度も概念を与えて、頭が同意することじゃない。
契約じゃない。
それは、あなた自身が誰なのかを知る機会なんだ。
僕は嬉しいよ。
覚醒しても、
体験をシェアしたがらない人もいるからさ。
サットサンで、僕が前に招いても、遠慮して引いてしまう。
でも、誰かが証言してくれれば、
ムージに起きた特別なことじゃないとわかる。
僕はあなたのために言う、
僕はあなたの確信なんだ。
あなたが確信したときの状態。
僕は恐れずに語りかける。
僕が何であり、
あなたが誰であるかを。
今、またもう一人が
それは可能だ、自分に起きたという。
私そのものが、自由なのだと。
 


関連動画


サドグルが悟りを開いた時の話

Deep Samadhi In Himalayan Cave - Mahayogi




ムージ(アンソニー・ポール・ムー -ヤング)
Mooji(Anthony Paul Moo -Young)
シュリー・W・H・L・プンジャジ(パパジ)の弟子。
1954年1月29日、ジャマイカのポート・アントニオで生まれる。
1歳の時にイギリスに移住。
母親はジャマイカ人。中国人の父親はムージが8歳の時に亡くなる。
後にロンドンのブリクストンに移り、そこで40 年以上暮らす。
ブリクストンでキリスト教の神秘家と出会い、個人として自立しているという感覚が存在しなくなる認識の大転換が起こる。
その後、シュリー・ラーマクリシュナの教えに深く触れた後、
インドへ旅立ち、師となるパパジ(プンジャジ)に出会う。
そこでそれまで残存していたエゴの機能が完璧に破壊された。


ムージの放つ輝きに気づいた探求者たちが、真理の直接の経験を求めて世界のいたる所からやって来るようになる。
現在、ポルトガルの南部にアーシュラムでありリトリート・センターである
モンテ・サハジャを設立し、真理の探求者たちを真我の直接的認識へと導いている。


著書
絶対なるものの息―ムージとの対話 見えるものと見えざるものは一つ
(覚醒ブックス) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2014/11/15
ムージ (著), 広瀬 久美 (翻訳)
絶対なるものの息―ムージとの対話 見えるものと見えざるものは一つ(覚醒ブックス) | ムージ, 広瀬 久美 |本 | 通販 | Amazon


ムージがインドの聖者プンジャジ(パパジ)のことろへ行った時の初対面の動画2本と、
3本目の動画は、その当時のムージの感想とその後の覚醒体験の音声動画。

(3本目の動画の日本語訳を転載)


姉妹の一人が家のペイントでお金を稼いだ。
そこから、僕は多くのお金をもらった。
僕は、そんな多くのお金を見たことがなかった。
僕は、このお金で3週間以内にインドへ行った。


僕は、偉大な聖者ラーマクリシュナを発見した。
僕は、本を読まない。
本を読むのは、好きではない。
絵を描くのが好き。
言葉には、惹かれなかった。
だけど、探求のスピードアップの衝動が沸き上がってきたため、本を読むことにした。
ロンドンのあるブックショップへ行ってみた。
最初に目にとまったのは、ラマナマハルシの本。表紙の写真がとても良かった。
中身を見てみた。
セルフエンクワェリー?
ちょっと見てみた。
。。。これは恐ろしいw
表紙の写真は、平和な表情。
中身は、、、、完全にいかれているw
僕は思った。誰が間違って、違うカバーをしてしまったのだろうw
「私は、誰か?」
「私は、身体ではない。」
などなど。。。


この時、僕はまだ準備が出来ていなかったんだね。


で、本を元の場所に戻して、今度は、ラーマクリシュナの「The Gospel of Sri Ramakrishna」を見てみた。
ラーマクリシュナは、全然知らなかった。
でも、ゴスペル、クリスチャン、少しつながっているのでOK。分かりやすい。


こうして、ラーマクリシュナを発見した。
この本は、全部読めた。
終わらないでと思いながら読んだ。


インド、カルカッタに行った。
この時、ラーマクリシュナは身体にはいなかった。


次に、デリーで、何日か過ごした。
で、ホテルに荷物を置いて、聖地リシケシに週末に行くつもりだった。
6ヶ月は戻るつもりはなかった。


リシケシに行ったある日、
ガンジス川で3人の友達と歩いていた。
一台の車が止まった。
グレースだった。
道を尋ねてきた。
少しふざけた話をした後、車は去った。
約15分歩いてホテルについた。
そこで、さっきの車の人達がチェックインしていて、食事を一緒にしようと誘ってきた。
僕は、食べたくなかったけど。
彼らの師は、ここに来たことがある。
彼らの師の名前は、パパジ。
僕は、パパジの名前を全く聞いたことがなかった。
彼らは、本を見せてきた。
「wake up roar」か何か。
僕は、とりあえず、社交辞令で「いいねぇ」とか答えておいた。
私たちと一緒にラクノウにおいでよ。
絶対に来るべきだよ。
執拗に誘ってきた。
とりあえず、彼らからアドレスだけもらってその場は逃れた。
その後、パラナシで10日過ごした。
そしてパパジに会ってみたくなったので、ラクノウに向かった。


ラクノウでの初めてのサットサン。
すごい背の高い男を見た。
僕は、すごい幸せを感じた。
彼のプレゼンスは、すごかった。
パパジと何ヶ月過ごした後、初めて手紙を書いた。
僕は、後ろの方に座っていた。
前を見てみたら黄色い手紙を読んでいた。
「あー、僕のだ。」


彼の足下に座った。
その手紙は、僕の歴史など。


彼が手紙を読んで、コメントし始めたら、
内側に怒りがわき起こってきた。


ブーーン、ブーン、(怒)
ブン、ブン、ブン!!(怒)


恥ずかしさ、さらし者にされている
彼は、僕の師じゃない。


内側の怒りは、すごく大きくなっていた。
彼の話は、何も聞こえなかった。
内側の怒りが大きすぎて。
もういい。もう終わりだ。


サットサンが終わった後は、
もうサヨナラ。
この場所は。
もう十分だ。


彼の話した言葉は、何も残っていなかった。
一つの言葉を除いては。


「もし、あなたが真実を発見したいのなら、あなたは消えなければならない。」
「あなたは、消えなければならない。」


ここを去るときは、誰とも口をききたくなかった。
そして、ここを去った。
それは、とても暑い日だった。
歩いて中央街へ(インディナガラ)


僕は、木陰に座って、
涼しい風に吹かれていた。
内側では、怒り、失望、、、


ある女性が来て、話しかけてきたので少し話した。
彼女が去って、少しして僕も駅へと向かった。


もう、ここにはこれ以上、
ここには、いたくなかった。


歩き始めた。
約20mぐらい歩いたところだろうか。


フーーッ、フッ!!!


全てが消えた。


私を見つけることが出来なかった。
私を見つけることが出来なかった。
この意味は?.


私の手を見ることが出来る。
でも、これは私じゃない。


私の気配を見つけることが出来なかった。
私の存在の気配すら見つけることが出来なかった。


どうしても、私を見つけることが出来なかった。
言葉に表す事が出来ない。。。


数秒後に、
ものずごい大きさの愛が波のように溢れてきた。
そして、
Love
パパジへの大きな愛が溢れてきた。


ある時点では、パパジを大きく愛しているとは言えなかった。
いつも、抵抗があった。
でも、この瞬間、、、
私の師は、パパジだと分かった。
 


ムージの他のオススメ動画

ムージ、笑う仏陀3

You Are Pure Awareness ~ Mooji


『あなたは純粋なる意識そのもの』ムージ


動画の日本語訳(転載)


ムージ~『あなたは純粋なる意識』 | 自然農ダ-ス・ダ-スのブログ


すべての現象を目撃している目=あなた


本当のあなたは生まれてくるものでもなければ、死にゆくものでもない。あなたは時間をもたない存在だ。本当のあなたは生まれたこともない。生まれたものとは、この世に現れたこの姿と名前だ。時間のない、無限のあなたがこの姿形として現れてきたのだ。あなたは「純粋なる気づき」なのだ。名前も形も超え、去来するようなものも超えた「純粋なる気づき」だ。あなたは、すべての現象を努力するともなく観察しているのだ。


もしあなたが、現れてくるものに自分自身を一体化しなければ、あなたは時間のない本来の自分自身をはっきりと自覚することになるだろう。あなたは、現れているものすべて、すべての現象を目撃しているものだ。それらすべてを見ている目、それがあなたなのだ。しかし、このすべてを見ている目、その目は見ることが出来ない。それは形なきものであり、目がそれ自身を見ることは出来ないからだ。


本当の自分になろうと思ったり、どうしたらそうなれるのかと知ろうとしたりすること・・・そのような考えは捨ててしまいなさい。そうすれば、その考えはあなたから去ってゆくだろう。本当のあなたにとってそれは何の役にも立たないからだ。どんな意図・目的にも束縛されないことだ。そしてまた、時間にもとらわれないことだ。将来のいつか何ものかになろうなどと期待しないことだ。そうすれば、時間を超越した本来のあなたがその姿をハッキリと現してくるだろう。


あなたは純粋なる気づきそのもの
あなたは気づきの光そのもの、意識の光だ。さらにあなたは、その光を目撃しているものでもある。その光に照らしだされているもの、すべてがあなたなのだ。あなたは純粋無垢な存在だ。すべてのものは、あなた自身を通して現れている。過去や未来のことについてのすべての思考、そして今頭に浮かんできていること、これらはどれもこれもあなたの本質ではない。あなたなしでは、それらは存在し得ないけれども、あなたを定義できるものはひとつもない。


自分に対して抱いているイメージ(自己像)を信じこまないことだ。どんな自己概念も作り上げないことだ。あなたはすでに気づきそのものなのだ。あなたの頭は、簡単にはこれを受け入れてはくれないだろう。だとしても、自分は思考を目撃しているものであると理解することだ。あなたは、去来するようなもの、現れては消えるようなものではないのだ。


さらにあなたは進歩したり、成長したりするものでもない。それは意識とマインドの領域に属した自我の性質だ。精力的な自我はいつも拡大しているのだ。拡大している感覚、成長している感覚を持つのは自然なことだ。ある意味、それが存在するものの存在目的とも言える。しかし、本来のあなたはなんでも知っているもの、進歩、変化、成長を見ているものなのだ。つまり、あなたはこれらすべてとは別物なのだ。


これをよく考えなさい。


すべてはあなたを通して現れている
これと同じことが風にも言える。風はあちらこちらに吹いているが風を見ることはできない。風に揺れたものが見えるだけだ。これと同じで、名前のあるもの、形のあるものは存在そのものがもたらした現象だ。結果として、形あるものが見せてくれているのだ。


しかし、現象界において本質を目にすることは出来ないのだ。名前もなく、形もないものがあなたに張り付くことは出来ない。名前も形も、あなたがこの世でまとうつかの間の衣装なのだ。あなたは知識以前に存在し、叡智を知るものなのだ。あなたは記憶以前の存在であり、記憶を目撃しているものだ。あなたは時を超えた存在であり、時間と空間、変化を目撃しているものだ。


今話していることはこれからこうなるだろうというような話ではない。あなたとは、本来そういう存在であるという紛れも無い真実を語っているのだ。実のところ、あなたには両親もいなければ子どももいない。友達もいなければ、何一つ所有物もないのだ。これらはみな、あなたを通して現れてきたものだ。あなたはこれら全部が現れる前から存在しているのだ。確かに、彼らはここにいる。この躍動感溢れる世界に現実味を帯びてい存在している。しかし、この世界に現れているもの、すべてはつかの間だ。個性や性別を持ったあなたでさえも、つかの間の存在だ。それらはみな、この現象の世界では当たり前になっている。


この人生劇を楽しむがいい。しかし、完全に実相に目覚めて楽しむのだ。あなたは真我であり、唯一の存在、周りのすべての現実そのものだ。すべてはあなたを通して現れているあなた自身なのだ。あなたは生まれることもなく、死ぬこともない存在だ。さまざまな状態があなたを通して現れるだろう。しかし、あなた特有の状態というものはない。


これをよく考えなさい。


Eternally Be Free, Happy and Whole!
この瞬間、今日という日しか存在しない。もし、自然に任せておけば今日という日は、あなたが本来持つ「調和と平穏」の芳しい香りを漂わせることだろう。自然な流れに沿って行動し、あなたらしく生きなさい。あなたから奪い取れるものは何もなく、また、あなたに足りないものもない。あなたは「純粋な気づき」なのだ。この肉体として現れているもの、思考として現れてくるもの、それらはみな現象にすぎない。すべての現象は、あなたなしでは現れることが出来ないのだ。あなたがいて初めて認識されるのだ。


この世界を良くしようとがんばらないことだ。まず、自分自身を完全に良く知ることだ。そうすれば、あなたの取る行動は深みから、自然に、真の理解を伴って溢れ出てくることだろう。そして、その行動こそが恵みとなってこの世界に降り注がれるのだ。永遠に自由なものとなりなさい。永遠に幸福なもの、完全なるものとなりなさい。そのように在り続けなさい。


プンジャジ(パパジ)が不二一元論を「波と海」の例え話で優しく説明している動画


ムージの師匠プンジャジ(パパジ)、そのプンジャジの師匠ラマナ・マハルシを紹介した記事

現在、世界中で活躍中のプンジャジの弟子
ムージ
ガンガジ


二ラージャ
パパジの愛弟子、ニーラジャのメッセージ/エゴを超越する炎(フォース)との出会い《前編》
パパジの愛弟子、ニーラジャのメッセージ/エゴを超越する炎(フォース)との出会い《後編》

×

非ログインユーザーとして返信する