中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

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妄想雑記12 国民的女性アイドル第3号【笠森 お仙】かさもり

「笠森 お仙」の情報は有り過ぎて困るほどあったので【女性アイドル第3号】

順位は、参考情報&個人のWikipediaがあるか無いかなど。

画像転載
水茶屋娘のランキングである「茶屋娘見立番付」



笠森 お仙(かさもり おせん、水茶屋の「鍵屋」の看板娘・18歳)
1751年(宝暦元年) - 1827年2月24日(文政10年1月29日)享年76歳)は、
江戸谷中の笠森稲荷門前の水茶屋「鍵屋」で働いていた看板娘で鍵屋五兵衛の娘。明和年間(1764年-1772年)、浅草寺奥山の楊枝屋「柳屋」の看板娘柳屋お藤(やなぎや おふじ)と人気を二分し、また加藤曳尾庵の随筆によれば、二十軒茶屋の水茶屋「蔦屋」の看板娘蔦屋およし(つたや およし)も含めて江戸の三美人(明和三美人)の1人としてもてはやされた。
「柳屋お藤」「蔦屋およし」のこの2人の情報は少なかったので除外。



お仙は18歳の時(※1765年)に大ブレイクした!
※1765年(明和2年・徳川家治/第10代将軍) 江戸時代(1603年~1868年・約265年間)
転載
彼女は13歳の頃から店に出ていました(今では児童福祉法に反する話ですが、当時はごく普通のことでした)。そんな彼女がブレイクするのは18歳のとき。当時、大人気の浮世絵師の鈴木春信が、おせんの美しさに魅了され、彼女をモデルにした浮世絵を次々と発表したところ、1765年あたりからがぜん人気が高まり、


向こう横丁のお稲荷さんへ 一銭あげて ざつと拝んでおせんの茶屋へ


という川柳が残るように、笠森稲荷への参拝をさっさと済ませ、おせん見たさに男たちが鍵屋におしかけるほどの有名人になったのです。




江戸検? なるほど~奥が深い(汗)


↓江戸のヒロインたち。なかなか興味深かった。

春日局のお墓(江戸のヒロインの墓①)
千姫のお墓(江戸のヒロインの墓②)
鷹司孝子のお墓(江戸のヒロインの墓③)
お蓮のお墓(江戸のヒロインの墓④)
於大の方のお墓(江戸のヒロインの墓⑤)
~省略~
①高尾太夫
(たかおだゆう)は、吉原の太夫の筆頭ともいえる源氏名。高尾太夫は、吉原で最も有名な遊女で、その名にふさわしい女性が現れると代々襲名された名前で、吉野太夫・夕霧太夫と共に三名妓(寛永三名妓)と呼ばれる。三浦屋に伝わる大名跡であった。何代目まで続いたかは、諸説があって判然としておらず、6代説・7代説・9代説・11代説の4説がある。


★日本の女性アイドル【第4号】を
江戸時代から選ぶのは違うと感じた。明治時代1人。大正時代1人。
昭和時代10人。平成時代10人ぐらい。
そして令和生まれ女性アイドルの第1号も探したいと感じた(笑)暇だから(笑)

★情報がほとんど無い。3~4行。




★江戸時代の有名な女性と言えば、
八百屋お七(おしち)を一番初めに思い出し、検索してみたが
アイドルのカテゴリーには入らないと感じたので除外。

八百屋お七(やおやおしち、寛文8年〈1668年〉? -天和3年3月28日〈1683年4月24日〉、生年・命日に関して諸説ある)は、江戸時代前期、江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女である。井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになり、文学や歌舞伎、文楽など芸能において多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になっている。
★番町皿屋敷のお菊さんも除外させて貰った。

★四谷怪談のお岩さんも除外させて貰った。

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