中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

私の愛読書①「覚醒の炎 プンジャジの教え」

プンジャジ(パパジ) 1910~1997 インドの聖者

YouTubeにある、プンジャジ(パパジ)動画リスト


パパジ、意識がなければあなたの身体にさえ気づきません - YouTube
✔️プンジャジ(パパジ)★ - YouTube


ラマナ・マハルシの直弟子で、世界中の数知れない探求者たちを真我に目覚めさせたプンジャジ。
お読みいただければわかると思いますが、マハルシに比べて現代感覚で語られていて、より真我(本当の自己)の把握に近づきやすいです。ある面で親しみやすいです。
真我の本質や真我へ至る方法がわかりやすく書かれています。
「ひとたびこの空の一瞥を得れば、あなたはサンサーラ、つまり世界の現れがあなた自身の投影でしかないことを知って、いつも幸せに生きることだろう。」


著者について
●シュリー・H・W・L・プンジャ(プンジャジ=プンジャ師)パパジ=愛称
1913年10月13日、現在はパキスタンとなっているパンジャブ地方の小さな村で生まれた。6歳のときに3日間、真我の直接体験に没入。1944年、31歳のとき、ラマナ・マハルシと出会い、その臨在のもとで覚醒を得る。1966年に引退するまでさまざまな仕事に就き、家族を養い、一家の長としての務めを果たした。
やがて、インド北部の町ラクナウに腰を落ち着け、毎日サットサンをおこない、世界中から訪れてくる探究者たちに“尊敬するお父さん”という意味の「パパジ」の名で呼ばれるようになる。1997年9月6日、逝去。

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(プンジャジ=プンジャ師)パパジ=愛称


シュリ―H・W・L・プンジャ(1913~1997)
「覚醒の炎 プンジャジの教え」P13より一部転載


禅の師家※が東京からハリドワールまで私を訪ねてきた。
彼は自分の部屋に行くことさえせず、鞄を持ったままやってきて
私の前に座った。誰かが私の名前を彼に告げたらしい。
彼は丁寧な日本式のお辞儀をして座った。
そして私に向かって言った。
「あなたはラーマ神です。私は悪魔です。この悪魔を殺してください」
私は彼を見つめると言った。
「私はそのどちらも殺した」
彼にとってはそれで充分だった。それで理解したのだ。
ふたたび お辞儀をすると彼は言った。
「もうこれで去ることができます。今から日本に帰ります」
「おお、それはいけない。今着いたばかりではないですか。
もうしばらくここにいなさい」
「ああ、それはいけません」と彼は言った。
「あなたはとても危険な人だ。もし私がここにとどまったら、
あなたに惚れこんでしまうでしょう。だから私は帰るのです」
そういうと彼は立ち去った。


※師家(しけ)は禅宗で修行僧を指導する力量を具えた者をさす尊称。また、その資格。古くは一般に嗣法の師僧をさす呼び名だったが、現在では修行道場である僧堂を主宰し、悟達の修行僧に印可を与える資格を有する者をいう。老師(Rōshi)と尊称される。臨済宗では修行僧に公案を与え、その境涯を点検できるのは師家のみとされている。(Wikipedia転載)


禅の奥義
信心銘(しんじんめい)
北周・隋代の僧璨鑑智禅師(そうさんかんちぜんじ)作と伝えられる。四言146句、
584字から成る韻文で、信心不二の禅の極致を説く。
禅の大家、鈴木大拙博士は『信心銘』は堂々たる哲学詩であり、禅旨の大要はこれで尽きていると評し、日本においては『永嘉証道歌』 『十牛図』 『坐禅儀』と合わせて「四部録」に収められ、初期の祖師禅の要旨をもっとも簡潔に詠った代表的作品として尊ばれている。
十牛図 (じゅうぎゅうず)自分自身の理解の過程を残すメモ帳 - 中高年応援チャンネル 55歳 地球旅行 日記


「覚醒の炎 プンジャジの教え」補遺 信心銘(現代語訳)364ページ~374ページ転載


大いなる道は難しくない
選り好みをせず
愛することも憎むこともなければ
すべてははっきりと明らかになる


だがわずかでも分別をすれば
天と地は遙かに隔たる
真理を実現したければ
賛成や反対の見解を抱いてはならない


一つを嫌い一つを好むことは
心の病だ
物事の本質を理解しないとき
心の平和は徒に乱される


道は大いなる虚空のように完全で
欠けたところも、余分なところもない
ただ取捨選択するために
物事の本質を見極められないだけだ


外界に巻きこまれてはならない
空という概念にもとらわれてはならない
一なる境地に帰して、ただ静かにしていなさい
そうすれば誤った見解はひとりでに消え去る


心の活動を止めようと努力しても
その努力がさらなる活動をもたらす
対極の一方を選んでとどまるかぎり
一なるものを知ることはできない


一なるものを知らなければ
静動、正否ともにその自由な働きを失う
物事の現実性を否定すればその現実性を見失い
空の概念にしがみつけば空の原理を見失う


話せば話すほど、考えれば考えるほど
ますます真理から遠ざかるばかり
話すことも考えることもやめなさい
そうすれば知り得ないものは何もない


根源に帰れば本質を会得する
だが現れを追いかければ源を見失ってしまう
一瞬にして悟れば
現れも空も、ともに超越される


空の世界に起こる変転変化を
無知ゆえに人は実在と呼ぶ
真理を追い求めてはならない
ただ相対的な見方をやめなさい


二元的な分別にとらわれて
現れを追ってはならない
わずかでも是非を区別すれば
心の本質は失われてしまう


すべての二元対立は一元から生じるが
その一元にさえ執着してはならない
心が生じなければ
世界が背くことはない
何も背くことがなければ
すべてはあるがままだ


分別心が起こらなければ、心は存在をやめる
主体である心が消えれば、対象も消え去るように
想いの対象が消えれば、想う主体も消え去る


物事(対象)は主体(心)が存在するために対象となる
心(主体)は物事(対象)が在るためにそのように在る
その二つの相関関係を理解しなさい
その根底にある実在は一つの空なのだ


この空は相対を排斥せず
すべての存在を差別のまま包みこむ
粗雑と精妙を区別せずにいなさい
そうすれば偏見に陥ることはない


大いなる道に生きることは
易しくも難しくもない
だが視野の狭い人は恐れ疑い
急げば急ぐほど遅れてしまう


真理に執着すれば度を失い
悟りという概念にさえ囚われて道に迷う
すべてを放てば自然となり
来ることも去ることもなくなる


あるがままにまかせなさい
そうすれば悠々自適に生きていける
想いを働かせば、真理は隠され
想いを止めれば、暗く澱んでしまう


有念も無念も徒に精神を疲れさせるばかり
そのどちらを好んでも避けてもならない
一なるものを求めるなら
感覚や思考さえ嫌ってはならない


感覚や思考を完全に受け入れることは
真の悟りと同じなのだ
賢者は目的を求めて努力しない
愚者は目的を求めるために己を縛る


法(存在、現象)は一つであって多数ではない
区別は無知の愛着から生じる
心をもって真理を求めることは
最大の過ちだ


迷えば安心や不安が生じ
悟れば好きも嫌いもなくなる
すべての二元対立は
自己中心の分別から生じる


それらは夢まぼろし、空中の花
つかもうとするだけ愚かなこと
得も失も、是も非も
すべて一度に放り出してしまえ


もし心眼が眠らなければ
すべての夢は自然に止む
心が分別をしなければ
存在は一なるものとしてあるがままに在る


この深遠な神秘を理解すれば
すべてのもつれは解きほどかれる
千差万別の存在が平等に見られれば
あるがままの自然の姿に帰りつく


この原因も関係性もない状態では
比較も類比もできない
動を静と見なし、静の中に動を見なさい
すると動も静も消え去る


二元性が存在しなければ
一なるものも在りえない
この究極の境地には
どんな法も描写もあてはまらない


道と一つになった平等な心に
自己中心的な計らいはない
疑いも恐れも消え
真理を信頼して生きるのだ


束縛を一撃で断ち切り自由になれば
印象はとどまらず、記憶すべきこともない
すべては空、明らかにして自ずと輝き
心を用いることもない


想念、感情、知識で推し量れない
このあるがままの世界には
自己もなければ他己もない


この実在と調和の内に在るには
ただ「不二」と言うがいい
この「不二」の中ですべては等しく
すべては包みこまれる


世界中の賢者たちは
この根源的真理を体得している
真理は時を超え
絶対の今の一念は、そのままで永遠なのだ


ここも空、そこも空
だが無限の宇宙は常にあなたの目の前に在る


極大と極小は異ならない
境界を忘れ去り、区別を消し去れば
存在も非存在も同じこと


そうでなければ真理とはいえず
守るべき価値もない


すべては一つ
一つはすべてだ
このように悟るなら
不完全を思い煩うこともない


この真理を信頼し生きることが不二の道である
不二と信頼は一体なのだから


道は言語に絶している
そこには昨日も明日も今日もないのだ

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