中高年応援チャンネル 57歳 地球旅行 日記

人間と呼ばれている生物を操縦して地球を旅行中。自分自身の為の備忘録。

韓国が好きな理由

私は、1966年(昭和41年)沖縄の嘉手納町生まれ。
5歳まで住んでいたので、いくつか思い出がある。
4人の姉と長男である私と弟(長女は結婚していて近くに住んでいた)
の8人家族


父は大阪などに出稼ぎに行っている事が多く、沖縄時代の父の
記憶は少ない。写真を撮って貰ったり、
映画「007 ダイヤモンドは永遠に」(1971年)を見に行った記憶など。
当時私は5歳だったけれど007というタイトルや
英語で全然理解はできなかったがアクション映画だと
鮮明に記憶していた。映画を見に行った後にゲームセンターで
スロットマシーンをした思い出とセットに記憶されている。


5歳の時に、家族全員で大阪に引っ越す時、
私はアイデンティティー‐クライシス※で悩んでいた。
※意味を転載
自己喪失。若者に多くみられる自己同一性の喪失。「自分は何なのか」「自分にはこの社会で生きていく能力があるのか」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。


沖縄では1945年から日本に復帰する1972年までの27年間、
アメリカに占領され、アメリカの貨幣を使用して買い物などをしていたので、
私も物心ついた時から、アメリカのコインを握りしめて
駄菓子屋にチョコレートなどを買うことが当然だったので、
自分自身は日本人なのだろうか?
という疑問、不安が常にあった。大阪に引っ越して
小学2,3年生ぐらいまで、自分の国籍が日本なのか不安だったので
怯えた毎日を送っていた(笑)
全校生徒1200人ぐらいの大きな小学校で、
1人だけ在日韓国人の少年がいた。その金(きん)君と同級生になる事は
6年間なくて、中学に進学してもなかった。
しかし廊下ですれ違うたびに、中国人ぽい顔だなぁ~とは感じていた。
金君が虐められているとかいう噂も特に聞かなかった。
1回だけ、金君の家ではニワトリを殺して食べていると
言う噂を聞いたけれど、
私は唐揚げとかケンタッキーとか好きだったので
特に韓国人が野蛮人だとは感じなかった。
35年前、18歳の時に正社員として勤めていた居酒屋が
確か社長が在日韓国人だった。
2か月で辞めたから、1,2度、顔を見ただけで、もちろん会話を
したことがなかった。大きなチェーン店が3店舗ぐらいあって、
正社員は事務員も含めると30人ぐらいいた。
バイトも30人ぐらいいたと思う。
ネットで検索すると全然情報が無く、
姉妹店が閉店していた情報だけ(私が勤めていたのは心斎橋店)
大阪駅前第3ビル地下にあった「居酒屋かかし」 | 懐古趣味で何が悪い!
退職の挨拶をする時に、普段は入らない社長の机もある事務所に
行って、一言、社長に退職の挨拶をしたけれど、ほぼ初対面だったので、
社長も「あっ、そうなの」ぐらいだった。
在日韓国人と会話した経験が少なすぎるので実生活では、
あまり在日韓国人に対して悪い印象は持たずに生きて来た。
テレビのニュースなので、悪いイメージを感じる時もあるが、
在日韓国人を十把一絡げにして悪だとは感じない。
存在悪だとも感じない。
同じ人間だと思うだけ。他の日本人と同じ。


中3の時、遠くの図書館に勉強しに行ってた。
そこの子ども図書専用のコーナーに高1の女子がバイトしていて
仲良くなった。
ある時、いたずらみたいなノリで400字詰め原稿用紙に
ラブレターみたいな文章を書いて渡したら、
返事の手紙をくれた。
そこには、その子が被差別部落に住んでいるけど良い?
というような事を書いていた。
当時、私が通っていた中学の隣の学区の中学が被差別部落地区だったので、
差別をしないように、被差別部落のおばあちゃんが講演に来て
1時間ぐらいの話を体育館で全校生徒で聞いたこともあったので、
単純に差別はいけないと、感じていたので、
その高1の女子に対しても、今まで通り楽しく会話をしていた。
高校受験も終わって、高校生活も忙しくなったので、
その図書館へは行かなくなった。


私は映画好きなので香港のカンフー映画も香港ノワールの
アクション映画も好きだった。
中国映画の恋愛映画も好きで
芙蓉鎮(ふようちん1987年、1988年日本公開)や
黄色い大地(1984年、1986年日本公開)、
初恋のきた道(日本公開2000年)なども見て泣いた。


私が一番好きな中国映画「山の郵便配達」(1999制作,2001年日本公開)
(那山那人那狗、Postmen in the Mountains)ダイジェスト版予告

【大鱼】男人外出三天,少妇望眼欲穿,一把被抱起~
車で行けない山岳地帯の村々に郵便を配達する郵便配達人の父親を
退職するまでの数十年間も出世できずにいた、要領の悪い人間だと
尊敬できずにいた息子は、ジャーナリストになって村を出たかったが
就職難で職が決まらず、父親が退職し引退するので、その後を
引き継ぐことになった。
引き継ぐ為に、父親が何十年も歩いた配達ルートを覚える為に
父親の最後の配達に一緒に同行することになった。
父親と一緒に、いつも同行していた犬も連れて。
息子は
父親が若い時に、配達途中の村で知り合った女性と結婚して
自分が生まれたと知ってはいたが、その理由が何となく理解できた。
父親が盲目の老婆に手紙を配達して、代読して読み聞かせていた。
村々で父親の配達する手紙などを心待ちにしている大勢の村人たちの
歓迎に、息子は、父親が大勢の人たちの優しさの為に
やりがいのある仕事のために
仕事の出世を放棄して、郵便配達をし続けた理由に気がついて行く…。
字幕なし↓
那山那人那狗 - YouTube


台湾映画は1本ぐらいしか見ていない。タイトルの内容も忘れた。
でも恋愛映画は予告だけ見ても面白い
私の少女時代-OUR TIMES

映画 『私の少女時代-OUR TIMES-』 予告編


映画『あの頃、君を追いかけた』予告編

映画『あの頃、君を追いかけた』予告編


★1993年に、たまたまバイトで知り合ったアジア旅行好きの人から
ネパールのポカラの公営カジノの話を聞いて、
自分でも自信のあったトランプのブラックジャックなら
カジノで稼げるのではないかと、本を読んで必勝法などの知識を
詰め込んで、ラスベガスかネパールか、韓国のカジノのソウルか釜山か
色々と旅行本などを比較して、一番航空券も安いし、日本人客が
多いと言う決めてで、韓国のソウルの
グランド ウォーカーヒル ソウルという高級ホテルの地下の公営カジノに
決めた。
もちろんそのホテルに宿泊できる予算がもったいないので、
そのホテルから歩いて通える一泊4000円ほどで泊まれる
ビジネスホテルに決めた(旅行本で決めてた)


韓国関連の旅行本を読み漁り、ビザがいらないこと、入国審査のカードも
簡単に書けること。空港での入国審査は簡単に通過できるなどの
知識を詰め込んだので、不安はなかった。
実際、金浦空港での入国審査で質問はされなかった。
私が事前に覚えておいた韓国語は2つだけ。
「カムサハムニダ」ありがとうございます
「アンニョンハセヨ」こんにちわ
4泊5日の旅行中、一度も韓国語を使わなかった。
ぜんぶ、日本語か単純な英会話だけで宿泊や料理の注文ができた。


空港や街中の自動販売機にポカリスウェットがあることに
驚いたり、自動販売機の約50円の小さな紙コップ入りの
ホット・コーヒーが半分しか注がれていないので、
ぼったくりだと感じたり、駄菓子屋でチョコレートを買ったり、
繁華街の小さなゲームセンターが私が高校時代に通っていた
小さなゲームセンターにソックリでタイムスリップしたような
幻想的な気分を味わえたり超面白かった。小さな本屋も
街並みも日本にソックリで衝撃を受けた。
世界で一番、日本にソックリな国は韓国なんだと理解できた。
旅行中は
昔見た「怪奇大作戦」のドラマの世界に自分が入り込んだような
奇妙な気分が続いて、パラレルワールドの世界に入り込んだ
SF映画の主人公の気分を堪能できた。


私が1番好きな韓国映画「八月のクリスマス」(1998年制作/1999年日本公開)

八月のクリスマス デジタル・ニューマスター版 スペシャル・コレクターズ・エディション【2枚組】


この映画のロケ地まで行く日本人ファンも多い
『8月のクリスマス』ロケ地へ。今さらUPする、2014年末の韓国・群山旅~ | ぼんの気まぐれ音楽都市


2番目に好きな韓国映画「おばあちゃんの家」



3番目に好きな韓国映画「デュエリスト」

[Eng Sub] Duelist #1 Geu Rim Ja and Love Song


好きな韓国の歌
BREATHE(ため息) - Lee hi(イ・ハイ) (Japaneseヴァージョン)

LEE HI - 'BREATHE -Japanese Version-' M/V


今はほとんど韓国映画やドラマは見ないが
K-POPや
韓国人YouTuberの動画は、毎日1回は見る。
最近見て面白かった動画
我去日本玩 JAPAN OSAKA TRIP !! 일본 오사카에 놀러갔다! - Part 1

我去日本玩 JAPAN OSAKA TRIP !! 일본 오사카에 놀러갔다! - Part 1


自分の中に、どこか、琉球王国の民族だという思いがあるので
日韓問題に興味が湧かない。
自分の家の家系図自己紹介動画 Ep.1「家系図」 - YouTube
を見ても、沖縄の中での小国同士の戦争などの歴史はあるけれど、
日本の歴史上の関ヶ原の戦いや天皇などとのつながりがない為に、
日本の歴史的な出来事の多くに先祖が参加していないんだと感じながら、
日本の歴史の授業を他人事のように感じながら受けていた。


だからある意味、私は日本人なんだけれど、
朝鮮王朝と琉球王国を滅ぼすことに加担した
日本という国に対して、物心ついた時から距離感を感じながら
生きて来たので、周りの同級生たちとの意見もズレていたので、
政治的な話はしないように53年間生きて来た。
常に韓国の人達に対して親近感や彼らの悲しみを理解できた。


というか、領土問題とか、99%どうでも良いと
インドで修行するようになって、さらに感じるようになった。
インド六派哲学(六派哲学 - Wikipedia)の1つ、ヴェーダーンタ学派 - Wikipedia
ヴェーダーンタ学派における最も著名な学者は、
8世紀インドで活躍したシャンカラであり、
彼の説くアドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学(不二一元論)は
最も影響力のある学説となっている。

インド六派哲学と言っても山の頂上に登るルートが違うだけ。
それぞれ使っている専門用語が違うだけで意味は同じ。



私は自分自身が人間だと言う、固定観念が徐々に消えていった。
私は、永遠の旅を続けている、意識だという感覚が蘇えりつつある。
森羅万象を変化しながら楽しみながら、永遠に旅している…
説明不可能な存在。
私だけではなく、みんながそういう存在だという確信が蘇えっている…。


★次は、別の星にも行きたい(生まれたい)という夢があるので、
過度に韓国を愛さないようにも気を付けている(笑)
韓国の土地に輪廻転生したら、キツイ社会なので…
観光旅行は良いが生まれるのはパスしたい(笑)

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